出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
場の量子論 その2
・数学的手法
量子化・相対論化
量子力学を場の量子論に拡張するために、場における粒子の生成/消滅を扱う生成消滅演算子を導入することで、場の量子化を行うことができる。また、場の波動関数を場の量子化によってディラック方程式に還元することで、相対論的不変形式へと相対論化できる。
ゲージ・繰り込み素粒子間の力の相互作用はゲージ理論によって記述され、発散の問題は繰り込みで回避される。
・成立史
-背景
ジェームズ・クラーク・マクスウェルの古典電磁気学では、粒子(荷電粒子)が場(電磁場)を生み、場が粒子に力を与える。これは、場の理論の最初の定式化である。
-原型
1927年から1928年、ポール・ディラックによる古典電磁気学の量子化、オスカル・クライン、パスクアル・ヨルダン、ユージン・ウィグナーおよびウラジミール・フォックによる生成消滅演算子が形成され、場の量子論の原型をヴェルナー・ハイゼンベルクとヴォルフガング・パウリが創った。これは後に、ディラック方程式と同等であることが判明する。
ハイゼンベルグは、場において粒子が力を伝えるという見解を打ち出した。これが湯川の強い力(中間子)、フェルミの弱い力(電子)の元となる。しかし、湯川の強い力にハイゼンベルグ・ボーアは否定的であり、確立されていなかった。
・相対論的共変・繰り込み
ハイゼンベルクおよびパウリらが作った原型は相対論を満たすが、相対論的共変形式を満たさなかった。1943年、朝永振一郎が超多時間理論でこれを解決する。これは1932年にポール・ディラックが提唱した多時間理論(相互作用をしている電子1つ1つに独立な時間を与える)の電子の生成・消滅を含まないという欠点改めたものである。また、リチャード・ファインマンも経路積分を完成し、またジュリアン・シュウィンガーもこの問題を独立して解決する。後に経路積分の方が一般的に使われるようになる。
・ゲージ理論
ゲージ理論の概念は、1918年にヘルマン・ワイルが創造した。ワイルは時空点ごとに「ゲージ」(ものさし)を与え、時空点が変わっても、理論が変わらないようゲージを決める(ゲージは一種の自由度で、理論不変なようにゲージ自由度を与える)ことを要求し、電磁場の導出を試みたが、実験と合わなかった。1927年、フリッツ・ロンドンは、長さを位相に変え、ゲージ理論の有効性を証明した。
1954年、楊振寧およびロバート・ミルズはゲージ対称性を非アーベル群に拡張した理論を定式化した(非可換ゲージ理論)。(ヴォルフガンク・パウリ、内山龍雄も独立して同様の理論を発見している。発表が遅れたため、パウリや内山らは非可換ゲージ理論の発見者と見なされない。)内山龍雄は重力場を含む形に拡張した(このため、ヤン=ミルズ=内山理論と呼ぶ人もいる)。この非可換ゲージ理論は、後に量子色力学やワインバーグ=サラム理論を定式化する際に用いられた。
・クォーク模型
1964年、マレー・ゲルマン、ユヴァル・ネーマンおよびジョージ・ツワイクにより独立にクォーク模型が見出された。この原型は坂田昌一による坂田模型と、そのフレーバー変換を群論形式で記述する方法を確立した大貫義郎らによるIOO理論SU(3)である。(これはクォーク模型の原型における対称性を群論で記述した最初の事例であり、素粒子論の核で群論を使う以後の流れを決定づける。
量子力学での群論の最初は、ヘルマン・ワイル1927年である。原子スペクトルの対称性を記述。また、1939年、ユージン・ウィグナーが原子核をSU(4) で記述する。しかし素粒子論の核での使用でなかった。これらは、素粒子の基本構造に迫るものではなく、素粒子研究で注目を浴びなかった。
IOO対称性は、素粒子の基本構造を始めて確立した。その後、クォークの基礎となる8道説や1/3電荷は、日本でも提案されたが、本格的に取り組まれないまま、ゲルマンなどのクォーク模型がでる。クォークに対応するグルーオン(力を伝える粒子)が担う場は、ゲージ理論によってゲージ場として記述される。