天体宇宙物理学への扉を開く
出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
万有引力 その3
-同時期の、フックによる引力に関する活動
ロバート・フックの近年の想像画。1665年に引力を論じ、1666年に王立協会で引力に関する講演を行い、1679年には引力に関する意見を求める手紙をニュートンに送った。(存在したはずの唯一の肖像画は、その後ニュートンとの確執の中で失われたと推測されている)
ロバート・フックは1665年の『顕微鏡図譜』で引力の法則を論じた。フックは1666年に王立協会において"On gravity"(引力について)と題して講演をし、移動する物体は何らかの力を受けない限りそのまま直進すること(慣性の法則)および引力は距離が近いほど強くなる、という法則を追加した、とされる。またフックは、1666年に王立協会と交わした書簡において、世界のしくみについて次の3点を述べたと、ダガルド・スチュワート(Dugald Stewart)は自著Elements of the Philosophy of the Human Mindにおいて指摘している。
全ての天体は引力(gravity)によってその各部分を中心に引きつけているだけでなく、天体間で相互に引き付けあって運動する。
外部から力が継続的に加わらない限り、天体は単純に直進し続ける。しかし、引力によって天体は円軌道、楕円軌道などの曲線を描く。
この引力は天体同士が近いほど強くなる。距離と引力の強さの関係がどうなっているか、今のところ私にも発見できていない。
1679年のこと、アイザック・ニュートン(1642-1727)のもとに、王立学会の書記ロバート・フック(1635-1703)から、1679年11月24日付けの手紙が届いた。「惑星の運動に関する私の仮説について、あなたの意見を学会機関紙に投稿してほしい」というものだった。ニュートンは当時、光学の研究に忙しくて、フックがその5年前に惑星の運動を説明するための仮説を学会に提出していたことも知らなかったという。当時、惑星の運動については、ケプラーが観測値によって算出した三つの法則があることは、学者たちには知られていた。第一法則-惑星は太陽を焦点とした楕円軌道を描く。第二法則-惑星は太陽に近い軌道では速く、遠いところではゆっくり動き、惑星と太陽とを結ぶ直線が等しい時間等しい面積を掃くように動く(面積速度一定の法則)。第3法則-惑星が太陽を一周する時間(周期)の2乗は、惑星と太陽との平均距離の3乗に比例する。
では、なぜ惑星はこのような動き方をするのか? 当時の自然哲学者たちは、ガリレイたちが作り上げてきた地上の動力学を使おうと考えるようになっていたという。ガリレイは、外力が働かなければ地上の物体は等速直線運動をつづける、という考え方をしていた。ところが惑星が直線ではなく楕円を描くということは、太陽の方向に働く引力がある、ということになるという。
フックが手紙でニュートンに意見を求めた点は、この楕円運動を作り出す、太陽に引き寄せる力、引力についてであり、この引力がどのような性質のものか?という点であったという。この手紙を見てニュートンは13年ほど前にウールソープ(ニュートンの家)で試してみた、地上の重力が月にまで及んでいると想定して行った計算、をやり直してみることにしたという。
それは例えばおよそ次のようなものであった。
まず、月に対して何の力も働かなければ、月はガリレオの慣性の考え方によれば直線方向にAからBまで1分間に37.4km進む、と計算される。(月を円軌道とし、地球一周に27日7時間43分かかることから算出)。だが、月はBではなくB´の位置にいる。つまり1分間にBB´だけ「落下する」と考えることができる。その長さは直角三角形AOBにピタゴラスの定理を用い計算でき、毎分4.9mの落下、となる。毎秒ならば、その3600分の1、4.9/3600となる。ところで地上の落下は、ガリレイが見出した法則により、毎秒4.9mである。月の位置で働く引力は、地球上の3600分の1まで弱まっている、ということになる。月までの距離は地球半径の60倍だから、結局、この引力というのは距離の2乗に反比例しているということになる(逆2乗の法則)。
ところでホイヘンスによる振り子の研究は、1659年ころの円運動の研究と結び付き、そこでの中心の引力というのは半径に比例し、周期の2乗に反比例する、ということが判り、これが1673年の『振子時計』で公表されたので、これとケプラーの第三法則を結びつければ、引力は半径の2乗に反比例する、ということはたやすく算出できるようになっていた。
エドモンド・ハリー。ニュートンの体系を出版するように応援し続けた。
1684年1月のある水曜日、ロンドンのコーヒーハウスにあつまったロバート・フック、天文学者エドモンド・ハリー、王立学会会長兼建築家クリストファー・レンは、残る問題となった、逆2乗の引力をもとにして、いかにケプラーの第一、第二法則を導くことができるか、ということを話題にした。同年8月、ニュートンを大学で訪問したハリーは、ニュートンがすでに独自にこの問題を解決していたことを知り、11月に、それを出版することをすすめ、『自然哲学の数学的諸原理』の核心部分が出来てゆくことになった。
フックは、引力については自分がニュートンに教えたのだとし、二人の間で対立が生じることになった。
その後ハリーが資金面で貢献してくれたり、あるいはフックとの先取権をめぐるいざこざの仲裁を行ってくれたお陰もあって、ニュートンはそれの刊行にこぎつけることができたのであったという。