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Channel: アンディマンのコスモロジー (宇宙論)
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出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
宇宙論 その1
・宇宙論の歴史
1900年から1949年まで
1905 - アルベルト・アインシュタインは特殊相対性理論を提唱し、空間と時間とが切り離して考えることが出来ない連続体だと位置づけた。
1915 - アルベルト・アインシュタインは一般相対性理論を提唱し、エネルギー密度は時空を歪めることを示した。
1917 - ウィレム・ド・ジッターは宇宙定数がある等方的な宇宙模型を導いた。また、宇宙定数があり物質のない膨張宇宙模型を導き、ド・ジッター宇宙と名づけた。
1922 - ヴェスト・スライファーは渦巻銀河の系統的な赤方偏移についての彼の発見をまとめた。
1922 - アレクサンドル・フリードマンは一般的に膨張する宇宙を示すアインシュタイン方程式の解を発見した。
1950年から1999年まで
1950 - フレッド・ホイルがビッグバンの語をつくり嘲った。
1961 - ロバート・H・ディッケがはじめて弱い人間原理を用いた。
1965 - ハンス・アルヴェーンはバリオン非対称性を説明するために無視されているプラズマを提案した。
1965 - w:Martin Rees, Baron Rees of Ludloww:Dennis William Sciamaはクエーサー源の数の解析によりクエーサーの密度が赤方偏移が大きくなるにつれて増加していることを発見した。
1965 - ベル研究所のアーノ・ペンジアスとロバート・W・ウィルソンは2.7Kのマイクロ波背景放射を発見した。それにより1978年にノーベル物理学賞を受賞した。
1966 - スティーヴン・ホーキングとジョージ・エリスはもっともらしい相対論的宇宙は特異点を持つことを示した。
1967 - w:Jim Peeblesが熱いビッグバン模型がヘリウム存在量を正しく予言することを示した。
1967 - アンドレイ・サハロフがバリオン生成の条件としてバリオンと反バリオンの非対称性を提唱した。
1967 - ジョン・バーコール、ウォーレス・サージェントとマーテン・シュミットは3C191のスペクトル線の微細構造を測定した。そして、微細構造定数が時間によって変化しないことを示した。
1968 - w:Brandon Carterは宇宙が存在するためには自然の基本定数はある限られた範囲に存在しなくてはならないと推測した。
1969 - w:Charles W. Misnerはビッグバンの地平線問題を提唱した。
1969 - ロバート・H・ディッケはビッグバンの平坦性問題を提唱した。
1973 - w:Edward Tryonは宇宙は巨大なスケールの量子力学的な揺らぎだろう。正の質量エネルギーが負の重力ポテンシャルエネルギーとつり合っているだろうと提案した。
1974 - Robert Wagoner、ウィリアム・ファウラーとフレッド・ホイルが熱いビッグバン理論は重水素とリチウム正しい存在量を予言していることを示した。
1976 - w:Alex Shlyakhterがガボン、オクロの天然原子炉のサマリウムの比からいくつかの物理法則が20億年変わっていないことを示した。
1977 - Gary Steigmanw:David Schrammとジェームズ・E・ガンが原始ヘリウム存在量とニュートリノの比の関係を検証し、5つのレプトンファミリーが存在できると主張した。
1981 - Viacheslav Mukhanov G. Chibisovが量子的な揺らぎが大規模なインフレーションを導くことを提唱した。
1981 - 佐藤勝彦、アラン・グースがインフレーションビッグバン模型を提唱した。それは地平線問題と平坦性問題を解決できるものであった。
1990 - アメリカ航空宇宙局のCOBEの補助的なミッションの結果は宇宙マイクロ波背景放射が10-5の驚く精度で測定され、等方的な黒体輻射であった。
1990年代 - 地上での宇宙マイクロ波背景放射観測実験が一つのピークを測定する。宇宙が幾何学的に平坦と認められた。
1998 - 宇宙の寿命により微細構造定数が変化する最初の証拠が発表された。
1998 - w:Adam Riessw:Saul Perlmutterと他の発見者がIa型の超新星の宇宙加速の観測から宇宙定数が0ではないことを示唆する結果が示された。
1999 - 宇宙マイクロ波背景放射線の測定(有名なものでBOOMERanG実験)により、宇宙の構成についての標準理論から期待される非等方角スペクトルの振動(ピーク)を検出した。それらの結果から宇宙の形は平坦であることを示していた。また巨大な距離の構成情報から宇宙定数が0ではないことを示唆するものであった。
2000年以降
2002 - チリのw:Cosmic Background Imager(CBI)が高解像度の宇宙マイクロ放射線像を得た。
2003 - NASAWMAPが宇宙マイクロ波放射線について全天について詳細な図を得た。画像は宇宙が一パーセントの誤差で137億年であることを示していた。これは宇宙論パラメータの理論とインフレーション理論を裏付けた。
2003 - スローン・グレートウォールが見つかる。
2004 - w:Cosmic Background Imager(CBI)が宇宙マイクロ波放射線のEモード偏極のスペクトルを得る。
2006 - 3年を経てWMAPの結果が公表された。それは解析による結果から、いくつかの点を修正し、また偏極の情報も含んでいる。
・古代インド
ヴェーダ(紀元前1000年頃から紀元前500年頃)の時代から、すでに無からの発生、原初の原人の犠牲による創造、苦行の熱からの創造、といった宇宙生成論がある、という。また、地上界・空界・天界という三界への分類もあったという。
後の時代、繰り返し生成・消滅している宇宙という考え方が成立したという。これには業(ごう、カルマン)の思想が関連しているという。
この無限の反復の原因は、比較的初期の仏教においては、衆生の業の力の集積として理解されていたという。それが、ヒンドゥー教においては、創造神ブラフマーの眠りと覚醒の周期として表象(シンボライズ)されるようになったという(ブラフマーは後にヴィシュヌに置き換わった)。
・様々な神話
世界各地には、神によって世界が作られたとする言及、物語、説が多数存在する。それらは創造神話や創世神話とも呼ばれている。
 

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宇宙論 その2
・関連項目
九つの世界(北欧神話のコスモロジー)
九つの世界(ここのつのせかい)は、北欧神話に登場する世界の総称で9つあり、3つの層に分かれている。第一層と第二層とは、虹の橋(ビフレスト)によって結ばれている。
第二層のスヴァルトアールヴヘイムとニダヴェリール、あるいは第三層のヘルヘイムとニヴルヘイムを同一のものとして、創世以前からあるムスペルヘイムを数える事もある。
ユグドラシル
ユグドラシルは、九つの世界に根を張り、3つの魔法の泉がある。
ミーミルの泉(ミーミスブルン)
ウルズの泉(ウルザブルン)
フヴェルゲルミル
第一層
アース神族の国アースガルズ
ヴァルハラ
妖精の国アルフヘイム
ヴァン神族の国ヴァナヘイム
第二層
小人の国ニダヴェリール
黒い妖精の国スヴァルトアールヴヘイム
人間の国ミズガルズ
巨人の国ヨトゥンヘイム
ウートガルズ
ガストロープニル
スリュヘイム
第三層
氷の国ニヴルヘイム
ギンヌンガガプ(ニヴルヘイムとムスペルヘイムを分ける)
死の国ヘルヘイム
炎の国ムスペルヘイム
ギンヌンガガプ
・古代ギリシャ
紀元前700年ころに活動したヘシオドスの『神統記』の116行目には「まず最初にchaos カオスが生じた」とある。古代ギリシャ語の元々の意味では「chaos」は《大きく開いた口》を意味していた。まずそのchaosがあり、そこから万物が生成した、とされたのである。そしてそのカオスは暗闇を生んでいるともされた。
ピタゴラス学派の人々は宇宙をコスモスと呼んだ。この背景を説明すると、古代ギリシャでは「kosmosコスモス」という言葉は、調和がとれていたり秩序がある状態を表現する言葉であり、庭園・社会の法・人の心などが調和がとれている状態を「kata kosmon(コスモスに合致している)」と表現した。同学派の人々は、数を信仰しており、存在者のすべてがハルモニアやシンメトリアといった数的で美的な秩序を根源としていると考え、この世界はコスモスなのだ、と考えた。このように見なすことにより同学派の人々は、一見すると不規則な点も多い天文現象の背後にひそむ数的な秩序を説明することを追及することになった。その延長上にプロラオスやエウドクソスらによる宇宙論がある。
 
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ペトルス・アピアヌスによって描かれた“Cosmographia”。古代から中世にかけてのコスモロジー。(アントワープ、1539年)
古代ギリシャのエウドクソス(紀元前4世紀ころ)は、地が中心にあり、天体がそのまわりを回っているとした(地球中心説、天動説)。27の層からなる天球が地を囲んでいると想定した。古代ギリシャのカリポス(紀元前370-300頃)は、エウドクソスの説を発展させ、天球を34に増やした。
アリストテレス(紀元前384-322年)は『形而上学』において、エウドクソスおよびカリポスの説を継承・発展させた。やはりこの地が中心にあり、天球が囲んでいる、とした。ただし、エウドクソスやカリポスは天球が互いに独立していると考えていたのに対し、連携があるシステムとし、その数は48ないし56とした。各層は、それぞれ固有の神、自らは動かず他を動かす神(unmoved mover)によって動かされている、とした。こちら側の世界は四元素で構成されているとし、他方、天球は四元素以外の第五番目の不変の元素、エーテルも含んでいると考えた。天球の世界は永遠に不変であると考えていた。
 

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宇宙論 その3
・関連項目
ソクラテス以前の哲学者
ソクラテス以前の哲学者は、ソクラテス以前の初期ギリシア(紀元前6世紀から前4世紀)の哲学者のことである。しばしば独語を用いてフォアゾクラティカーVorsokratiker ともいう。
代表的人物
タレス
アナクシマンドロス
ピタゴラス
ヘラクレイトス
パルメニデス、クセノパネス、そしてその他エレア派の哲学者たち
レウキッポスとデモクリトス(原子論者)
プロタゴラスとソフィスト
ソフィストはソクラテスと同時代人であるが慣例としてソクラテス以前の哲学者に含める。
活動期と地域
活動期は紀元前7世紀末から前5世紀までおよそ2世紀に渡り、場所はイオニアからマグナ・グレキア(大ギリシャ)に及ぶ。
バルカン半島の南端ヘラスの地に南下してきたドーリス族によって、この地に先住していたアカイア族が押し出され、エーゲ海の対岸のイオニアや、マグナ・グレキアに移住していき、その地で初期のギリシャ文化が形成された。前5世紀になってペルシア戦争のためにイオニア地方が衰微し、フェニキア系カルタゴとの小競り合いによってマグナ・グレキアに不安が広がり、ギリシャ人世界の中心がギリシャ本土に移るまでは、イオニアやマグナ・グレキアがギリシァ文化の先進地帯であったからである。
概説
ソクラテス以前の哲学者たちの思想は難解をもって知られまたその範囲についても議論の余地がつねに残る。これにはいくつかの理由が考えられる。
彼らの思想内容を直接知ることが困難である
彼らのほとんどが膨大な量のテキストを書いたと推測されるが直接伝わっているものは一つも無い。現在存在するテキストの全てはそれらの部分部分、また後世の哲学者、歴史家からに引用された断片である。したがってそれらのテキストの精確な文脈は推測によって補うほかない。
ピタゴラスのようにその発言が一切伝わっていない思想家すらいる。
彼らの伝記も細部は不詳であり、その関連を精確に跡付けることが難しい
彼らのまとまった伝記が同時代にあったわけではなく、現在利用可能な資料は後世の人の記述である。それらは断片的でまた時には相互に矛盾している。たとえば、タレスはしばしば最初の哲学者と呼ばれ、その弟子にアナクシマンドロスがいるとされるが、研究者のなかにはアナクシマンドロスがタレスに先行すると考える者もいる。
他の思想家の言説との関係や属していた文化や社会との関係が不明であるということはそれぞれの言述内容の解釈にあいまいさを残す要因となりえる。
表現の形式が難解である
プラトン以前のギリシャの思想家たちはみな散文によってでなく詩の形式を用いた。表現は短く凝縮されていてそこから多様な解釈が可能になる。また彼らの多くはそれまで問題にされたことのない事柄について語ったため、新しい概念の枠組みを自ら発明しなければならなかった。
既存の思想を準拠枠として彼らが使わない、使いえないことで、彼らが何を語っているかを読み解くにはしばしば大きな困難が生じる。
自然法論
 自然法論(英: natural law theory、独: Naturrechtslehre)は、広義においては、自然法に関する法学、政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、近世自然法論から法実証主義の台頭までの期間で論じられることが多い。
定義
自然法論とは、広義においては、自然法に関する法学、政治学ないし倫理学上の諸学説の総称である。最広義においては、ギリシャ神話以来の、自然から何らかの規範を導き出そうとする考え方全般を意味するが、狭義においては、近世自然法論から法実証主義の台頭までの期間で論じられることが多い。自然法論という用語が最広義で用いられるとき、すなわちそれが文明開闢以来の西欧学問の全時代をカバーするときには、論者の表現の中に自然法という言葉が直接的には使われていない場合がある。例えば、ミッタイスはホメロスやヘシオドスの神話の中に自然法の原形を見出すが、ホメロスやヘシオドスが自然法という言い回しを知っていたわけではない。
-古代ギリシャ
ヘラクレイトス
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最初期の自然法論に数え入れられるのは、古代ギリシャの宇宙論である。例えば、ヘラクレイトスの宇宙論によれば、人間は、天体が宇宙の法則によって運動しているように、宇宙の法則に従って生きるべきである。このような考え方の下では、物理的な法則と倫理的な法則とが、同一の概念に属している。「天体がある法則に従って運動している」という事実と、「人間はある法則に従って生きるべきだ」という規範との区別には、何ら注意が払われていない。
-プラトン
次第に、事実と規範とは異なるという意識が芽生え始める。そのような方向性は、まず、プラトンの中に見出される。プラトンは、自然本性から与えられる絶対的に正しいものと、具体的な時と場所において相対的に正しい人為的規則とを区別する。前者は理念(イデア)、後者は現実となり、理念は現実が目指す永遠の目標となる。つまり、自然法とは「〜である」という事実に関するものではなく、「〜すべし」という事実の目標であるということが自覚されるに至った。
プラトンがヘラクレイトスの宇宙論から離れている点が、もうひとつある。それは、自然法は現実の中に内在しないということである。プラトンの哲学においては、現実が目標とする理念は、イデアとして、この現実世界の中ではなく、イデア界という超越的な場所に存在すると想定された。それは、現実の中には観測されず、思考によってのみ到達可能な場所である。すなわち、プラトンが言う自然法とは、正しい思考の末に発見される法であって、現実の中において観測可能なものではない。
-アリストテレス
これに対して、アリストテレスは、理念を現実の中に引き戻す。理念は、現実の中に内在しており、個々の事物の中には、それぞれの事物の理想像が既に可能性として秘められている。このことは、プラトンとアリストテレスの国家論に重要な差異をもたらした。プラトンは、地上のどこにもない理想の国家を想定し、それを現実の国家の目標とした。これは、理念は現実世界の中に存在しないという彼の哲学からの必然的な帰結である。反対に、アリストテレスは、現実にある個々の国家制度を比較検討し、そこから国家の理想像を発見しようとする。彼にとって、国家の理想像は、現実の国家そのものの中に存在しているはずであった。
・新約聖書
『七十人訳聖書』においてはκόσμοςkosmos)という言葉以外にoikumeneという言葉も用いられていた。キリスト教神学においては、kosmosの語は、「この世」の意味でも、つまり「あの世」と対比させられる意味でも用いられていたという。
・プトレマイオス
 
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クラウディオス・プトレマイオス(2世紀ごろ)は『アルマゲスト』において、もっぱら天球における天体の数学的な分析、すなわち太陽、月、惑星などの天体の軌道の計算法を整理してみせた。そして後の『惑星仮説』において自然学的な描写を試み、同心天球的な世界像、すなわち地球が世界の中心にあるとし、その周りを太陽、月、惑星が回っていることを示そうとした。惑星の順は伝統に従い、地球(を中心として)、月、水星、金星、太陽、火星、木星、土星だとした。
・イスラーム世界
イブン=スィーナーはアリストテレスの論、プトレマイオスの論、ネオプラトニズムの混交した説を述べた。彼は、地球を中心とした9の天球が同心円的構造を成しているとし、一番外側に「諸天の天」、その内側に「獣帯天の天球」、土星天、木星天、火星天、太陽天、金星天、水星天、月天、そしてその内側に月下界(地球)がある、とした。「諸天の天」から月天までの9天は全て第五元素であるエーテルから構成されており不変であり、それに対して月下界は四元素の結合・分解によって生成消滅を繰り返しているとした。9天は地球を中心に円運動を行っている。そして、その動力因は各天球の魂である。魂の上に、各天球を司っている知性(ヌース)がある。一者(唯一神、アッラー)から第一知性が流出(放射)し、第一知性から第二知性と第一天球とその魂が流出(放射)する。その流出(放射)は次々に下位の知性でも繰り返されて、最後に月下界が出現したとする。
 

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宇宙論 その4 (1/4)
・関連項目
イスラム科学
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イスラム科学とは、8世紀から15世紀のイスラム世界において発達し、アラビア語によって叙述されていた科学の総称をさす。
-概説
呼称に関して
「イスラム科学」と呼ばれるが、ムスリム(イスラム教徒)だけが築き上げたのではなく、ユダヤ教徒やキリスト教徒など、様々な宗教に属する人々によって発達させられてきた。
また「アラビア科学」とも呼ばれることがあるが、アラビア半島を中心とする地名としてのアラビアでのみで発達したわけではなく、東は中央アジアから西はイベリア半島までいたる地域的な広がりをもっていた。
また、「アラブ科学」とも呼ばれることがあるが、ペルシア人、トルコ人など様々な出自の学者たちが活躍した。
歴史
イスラム帝国が形成されアラビア語が学問の言語として広い地域で使われるようになる以前の、エジプト、メソポタミアといった古代オリエントの文化や古典古代のギリシャ、ペルシア、インド、中国などで発展していた科学をもとに発展した。
法学・神学・語学・文学などのアラブ人伝来の「固有の学問」があったが、これに対し、上記のようにしてイスラム世界にもたらされた学問には哲学、論理学、幾何学、天文学、医学、錬金術などがあり、博物学、地誌学などとともに「外来の学問」と呼ばれた。ただし、外来の学問であっても正確な知識を求めることはハディースに照らしても神の意思を知るためのイスラムに相応しい行為とされ、「固有の学問」を修める学者が「外来の学問」を兼修することはまったく珍しいことではなかった。
ムスリムの治める地域において、ムスリムを中心とする人々が科学の研究へと進み始めたのは、8世紀に成立したアッバース朝のもとであった。アッバース朝ではカリフや宮廷のワズィールたちの保護と学術振興の意思に基づいて主にギリシャ語の翻訳が始まり、特に第7代カリフマアムーンが創設した研究施設バイト・アル=ヒクマ(智恵の館)には多くの科学者が集まり、ギリシャ科学のアラビア語への翻訳が進められた。マアムーンに仕えた科学者のひとり、フワーリズミーは、インドの天文学や数学を取り入れて、代数学や数理天文学に関する著作を残した。
9世紀にはこの成果がアッバース朝の隅々にまで行き渡ったアラビア語による学問のネットワークに乗せられて知識人たちに広く受け入れられ、イスラム哲学の祖として知られるキンディーのように、同時に数学、天文学、医学、論理学、哲学など様々な学問に通じた学者が多くあらわれた。
10世紀から11世紀には、アッバース朝の政治的な衰退とは裏腹に、アラビア科学は空前の発展を遂げ、プトレマイオスの天文学を改良したバッターニー、数学・天文学に通じ光学に関する重要な著書を残したイブン・アル・ハイサム、哲学と医学の分野でヨーロッパに大きな影響を与えたイブン=スィーナーらが活躍したが、中世以降のヨーロッパにおいて科学が劇的に発展し、14世紀から15世紀にかけて、アラビア科学は廃れた。
21世紀になってイスラム科学の復古運動とも言うべきものが始まっている。20世紀のアラブ諸国は欧米文明を吸収する形で近代化をすすめていたが、イスラム社会とキリスト教社会、ユダヤ社会との関係悪化とアラブ社会の教育水準や工業基盤の成熟などに伴い、欧米の技術に頼らないイスラム社会の科学技術の確立を目指す方向へ向かい始めている。欧米と断絶関係にあるイランは独自の科学と工業による兵器や原子力などの研究開発を進めている。製薬や食品などの分野ではハラール品の開発に力を入れている。
特に原子力の分野においては日本や欧米が原子力廃止に向かう中で積極的に導入を行う国が多い。このまま進めば欧米諸国で原子力技術が無くなり、イスラム諸国で発達するという現象がおきかねない。
-アラビア数学
特に数学の分野ではアラビア数学がもたらした成果は大きく、代数学や三角法はアラビア数学が開拓した分野である。また、アラビア語とともに使われていた数字は、インドから取り入れたゼロの概念を反映して、ゼロの数字をもっており、これがアラビア数字としてヨーロッパに伝わり、世界中で使われるに至った。
-光学
イブン・アル・ハイサム(ラテン名アルハゼン)はプトレマイオスが導き出した光学を徹底的に批判し分析を行った。彼は、目から光線が放出されることで視覚が生じるというプトレマイオスの理論を否定し、太陽その他の光源から放出された光が対象に反射し、それが目に入って像を結ぶという正しい理論を発見した。彼は目の精密な解剖図も著している。彼の著作『Kitab al-Manazir』(光学の書)はヨーロッパの光学の基礎となったものであり、デカルトやケプラーもイブン・アル・ハイサムの著作から光学を学んだ。
-化学
化学の分野でもアラビア科学の果たした役割は大きい。
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この変遷自体が、古代エジプト、古代ギリシアの科学がイスラム世界のるつぼに流れ込み、中世ヨーロッパに伝えられ、科学革命を経て西欧近代科学に繋がるという科学史をそのままに写している。
8世紀、アッバース朝の5代目カリフに仕えたジャービル・イブン=ハイヤーン(羅: geber(ゲーベルまたはジーベル)は、ヨーロッパにおいて伝説的な錬金術師とされ、化学の祖ともされる(レトルトの発明者)。
9世紀のアル・ラーズィー、10世紀のイブン=スィーナー(ラテン名「アウィケンナ」)、ラゼスらも有名である。
-科学的方法
イブン・アル・ハイサムは経験知や実験観察を重視し、そこから帰納法的な推論を用いて理論を打ち立てた最初期の科学者である。彼の手法(科学的方法)は、彼の著作に学んだロジャー・ベーコンやヨハネス・ケプラーらに受け継がれた。
-近代西洋科学の基礎
これらのアラビア科学の成果は、12世紀以降にムスリムの手からキリスト教徒に再征服されたシチリアやイベリア半島においてラテン語への翻訳が進められ、近代ヨーロッパ科学の基礎を提供した。
また、この時代には数学・天文学の分野でオマル・ハイヤームなどの学者が活躍し、13世紀にはモンゴル帝国のもとで、イスラム科学の先端の天文学が中近東から中国へと伝えられた。

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宇宙論 その4 (2/4)
イスラーム哲学
イスラーム哲学(Islamic philosophy)は、哲学の中でもイスラム文化圏を中心に発達した哲学である。アラビア哲学とも言われる。
-起源
イスラムにおける「哲学」の始まりを、広く定義すればイスラム教が成立した時点と捉えることも可能であろう。イスラムの教えもそもそも「哲学的」であるし、クルアーンの解釈をめぐる論争・カリフの後継者争い(シーア派とスンナ派)の対立などは代表的)など、広い意味での「哲学的」な論争はイスラム教成立当初から、続いていたことであるが、通常はギリシア哲学がイスラム世界に移入されたのをもって、独立したひとつの学問としての「イスラーム哲学」を始原とみるのが通常である。(本項ではこれを述べる)
イスラム世界にギリシア哲学が伝わったのはシリアを介してであった。イスラーム哲学は、ファルサファ(falsafah)と呼ばれた。これは、アラビア語ではなくギリシャ語(φιλοσοφια)に由来するもので、英語などで哲学を意味するphilosophyと同語源である。しかし、ファルサファと呼ばれるイスラーム哲学は、当時としてはそのような学問としての認識や名称は、存在していなかった。これは、後世の哲学史研究によってその存在が初めて認められたという特徴のものであった。
-特徴
 
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アリストテレス。イスラーム哲学に大きな影響を与えた。しかし、アリステリスのものではない著作もアリストテレスのものとされていたりもした。
西洋哲学と比して宗教(イスラム教)と密接に関わっているのが特徴で神秘主義的な要素が強い。起源は、イスラム世界のヨーロッパ方面の拡大と共にイスラム世界にも移入されたプラトンやアリストテレスの古代ギリシャ哲学であった。唯一神アッラーフを信奉するイスラムの教えにすれば、これは異文化の考え方であり、イスラム神学(カラーム)としばしば対立したりもした。
イスラーム哲学がもっとも栄えたのは、地理的にも拡大期であった9世紀から10世紀(アッバース朝期)にかけてである。当時それとは対照的にヨーロッパ世界ではキリスト教的世界観が支配的で、古代ギリシアの哲学などは、すでに表舞台からは遠のき哲学の歴史からすれば一時的な衰退期でもあった。ヨーロッパ世界において哲学が再び開花するのは、イスラム哲学者たちによって継承されていたアリストテレスやプラトンの哲学が再びヨーロッパへもたらされたことによるものである。従って、ヨーロッパの哲学の流れを考えるにしても、イスラーム哲学が果たした役割は見逃すことのできないものであろう。
なお追って、詳述するが、翻訳活動に端を発し、アヴィセンナと来て、アヴェロエスでもってイスラーム哲学(ファルサファ)は終わりであるという見方が散見できるが、純粋に哲学というものを考えればこれも可能である。というのも、イスラーム哲学はその後は神秘主義・神学と不可分な存在となり、ファルサファとは異質なものへと変質していったからである。その後のイスラムにおいて哲学が顕著になるのは、近代化と共に他の学問・技術など共に移入されてからであり、イスラーム哲学の他、西洋哲学を中心に現在ではイスラム文化圏内でも、1つの学問分野として認知・研究教育されている。
-イスラーム哲学の萌芽
イスラム世界へのギリシア文化の移入(翻訳時代)
7世紀にイスラム世界が成立すると(この辺りの歴史は、イスラム帝国、ウマイヤ朝、アッバース朝の項を参照)、ムハンマドの死後、正統カリフ時代を経て、アラブ人至上主義を取っていたウマイヤ朝が750年に滅んだ後アッバース朝が成立した。アッバース朝は非アラブ系であったペルシア人からの支持もあって、アラブ人以外のムスリムたちにも道を開いた世界帝国へと変わっていった。この支配下には、ペルシアやエジプトといったギリシア文化の影響が色濃く残っている地域も含まれており、そこには哲学をはじめとする医学・数学・天文学などの諸学問が、ギリシア時代のものからエジプトやシリアなどの東地中海沿岸の各地に残っていた。アッバース朝は、バグダードにシリア人学者を招いて、シリア語のギリシア文献をアラビア語に翻訳させた。イスラーム哲学の起源のひとつとして、アラビア語への翻訳活動があるというのは、見逃せない事である。
哲学に関していえば、キリスト教とギリシア哲学の対峙において、反駁のためあるいは哲学的方法によるキリスト教の思想的展開をさぐるため、ギリシア哲学の接受が行われた。シリアのに正当性を持たせるため、哲学的な方法を用いていたので、アッバース朝の支配下にあっても哲学の文献が残っており、イスラム教徒たちも利用することができた。
5世紀から10世紀にかけて、シリアのキリスト教徒(ネストリウス派のキリスト教徒)はアリストテレスの文献、ポリュフュリオス、偽ディオニュシオス・ホ・アレオパギテースの著作をギリシア語からシリア語に翻訳した。これは主にエデッサのネストリウス派またレサイナとカルキスの単性論派にになわれた。
832年にアッバース朝第7代カリフ・マアムーンはバグダードに翻訳を行う官庁をおいた。これがいわゆる知恵の館(バイト・アル=ヒクマ)であり、ギリシア語やシリア語、パフラヴィー語に加え、インドからもたらされたサンスクリット語などさまざまな文献が集められ、これらを相互に翻訳・研究が行われた。特に医学の他に天文学・占星術関係の文献の翻訳が盛んで、天文台や図書館などの施設も併設されていた。日常の礼拝や農事暦に関わるなどに暦の制定にも天文学や占星術の知識は欠かせない存在であったため、この時代の翻訳業や観測の事蹟は後世のイスラム社会や諸政権にも多大な恩恵を与えている。また、同時にアッバース朝はクーデターによってウマイヤ朝を打倒して誕生した政権であったため、自らの政権の正統性を立証するため論理学的な知識を欲していた面もある。これによってアリストテレスをはじめギリシアの諸著作およびアリストテレス註解書がアラビア語圏に紹介されたが、ただの知的欲求というよりも、『オルガノン』や『トピカ』などに代表されるアリストテレスによって確立された論理学の方法論を体制側が学ぶためという現実的な要求もあった。しかし、同時にこれによって古代後期の新プラトン主義の影響が濃いアリストテレス解釈が紹介されることになる。
またさらに、このシリア語(中には、ギリシア語からの翻訳もあったが)がキリスト教徒らによってアラビア語に翻訳されていた。これにより、ムスリムたちにもギリシア哲学の研究が可能であった。この翻訳は、現在みても高水準の正確さのものもあった。これにより、ムスリムたちも、ネオプラトニズム、アリストテレス、プラトン、プロティノスなどを翻訳することができるようになった。ただしムスリムたちがアリストテレスの著作と考えていた著作が、実際はプロティノスのものだというように、若干の誤伝があった。またムスリムの哲学者たちは、医者や数学者でもあったのでアルキメデスやガレノスなどの著作も翻訳された。
―イスラム法の解釈と哲学の発展
このような翻訳活動は確かにイスラムに哲学をもたらしたが、これだけではイスラーム哲学の成立の契機とは見なせない。彼らが、本当に哲学的方法を必要としたのは、イスラム法(シャリーア)の解釈が多様化してきたためであった。すでにムハンマドの頃とは違い異民族のムスリムたちを抱えた世界帝国になっていたイスラム帝国は、もはやクルアーンとハディースだけでは、収まりきれないものとなった。収まりきれない場合は、学者たちの合意によって決定されるものとされ、孤立した推論は忌避されていた。柔軟に制定されているイスラム法に対しての正確な解釈が必要とされてきたし、多くの学者が他者の異説よりも、自説が正しいと考えていた。このようなまちまちな解釈では合意にも支障がでるので、客観的妥当的な立場からの見解を持つために、哲学的方法が歓迎されたのである。
しかし、これによりイスラム法議論とその正当性を主張する際に、神学(カラーム)との対立が発生した。神学は、一般的に受け入れられていれば、論証することは必要とされない前提(つまり宗教的な教義)で議論されて法解釈の正しさを証明しようとしていたが、哲学は確実に疑い得ない前提が求められており、たとえイスラム教における宗教的な教義でも、論理的に正しくない限り、決して受け入れられないし、それを前提とした議論や推論は断じて証明されるものとはされず、忌避されるべきとした。このことは、哲学と神学との間に不和が発生し、哲学者と神学者の間で激しい罵りあいにまで発展した。哲学者たちは、神学を「矛盾点を嘲り、敵対者や異端を論駁するだけの発展性のない学問」とまで評したが、しかし実際は単なる観点の違い(テクスト解釈(神学)と論証する際の前提(哲学))であり、双方ともに帰結する点では結局のところ、大差はなかったといわれている。いずれにせよ、多様化され混沌としてきたイスラムの法解釈の打開策として哲学は歓迎されたのも、イスラーム哲学発展の要因の1つである。
―東方イスラーム哲学
イスラーム哲学の世界は、紅海を境に東西に分けられる。東方イスラーム世界と西方イスラーム世界ではそれぞれ違った特徴の哲学が展開された。ここでは、項目の性質上、概観するにとどめるので詳細は各思想家の項を参照されたい。東方イスラーム哲学の世界は、アラビア半島のみならず、ペルシアや中央アジア一帯にまで及ぶ。東方イスラームの哲学者たちは、多くのペルシアや中央アジア出身など非アラブ圏の人物が多かったのが特徴である。これは、イスラームにとって哲学が外来の学問であることを物語る特徴といえるかもしれない。別名、アラビア哲学とも言われているが、これはアラビア人が手がけたという意味合いではなく、アラビア語で哲学が展開されたという意味合いである。アラビア語はムスリム以外にも、近辺のユダヤ教徒・キリスト教徒などにも広く知られていたものであった。
 

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宇宙論 その4 (3/4)
「アラブの哲学者」キンディー
最初にイスラーム哲学史に登場する人物はアラブ人哲学者ヤアクーブ・イブン・イスハーク・アル=キンディー(801年頃-866年頃)ある。彼は別称として「アラブの哲学者」と呼ばれている。いちいち、アラブ人であることを言及されるのは、前述のように、長らく哲学などの思想関係ではシリア系やイラン系といった人々の活躍が目立ち、純粋にアラブ系の出身者はむしろ稀なケースであったからである。
 
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その名前が示す通り、彼はジャーヒリーヤ時代にあたる5世紀後半にアラビア半島中央部のナジュド高原に大勢力を誇り、キンダ王国を築いたアラブ遊牧民キンダ族の血筋であった。彼は前項の翻訳時代にバグダードを活動の中心にして莫大な量の翻訳や著作を手がけ、その数は250を超えたといわれている。(しかし、現存するものは40作品程度である)。キンディーは哲学者は経験界のあらゆるものの本質を究めなくてはならないという百科全書的な考えを持っており、地理・歴史・数学・音楽・医学・政治など広範なジャンルに渡り知識を持ち合わせていた。彼自身はギリシア語を解さなかったようだが、ギリシア語文献からの翻訳の依頼や、生粋のアラブの名族のひとりとして豊富なアラビア語の知識を生かしたその翻訳指導にあたっていた。特に、アラビア語による哲学語彙の確立に多大な貢献をしている。アリストテレス関連で言えば、『形而上学』や『神学』(しかし実際これは、アリストテレスの著作ではなくプロティノスの「エネアデス」である。)からプトレマイオスの『地理学』など重要なものが多かった。
キンディーは、人間の知性を4つにわけ、能動的知性、可能態における知性、獲得された知性、現実態における知性と後のイスラーム哲学の基礎になる知性論を展開した(すでに、この時点でアリストテレスではなく、ネオプラトニズムの考え方になっている)。彼は、神を真理(ハック)と認識し、哲学独自の目標を「人間の能力の限界内において可能な限り事物に真にあるがままに認識すること」であるとし、このように獲得した真理(これはイスラーム信者のみに保証されるものではないという)こそ普遍であると主張した。また、神による無からの創造や啓示の優位性など、「完全なる一者」から創造がはじまったとするプロティノス系の流出論が優位となる後世の哲学者たちには見られない思想的特徴を持つ。このようにキンディーはイスラーム哲学に独自の道を開いた人物であるといえる。
「第二の師」ファーラービー
アリストテレスが「第一の師」とイスラム世界で仰がれてアリストテレスの哲学解釈が興隆していく中、それに続く「第二の師」と呼ばれたファーラービー(870年頃 - 950年)はキンディーが開いた道に基礎を固めた人物として知られている。キンディーのように彼も、著作が多く、殊にアリストテレスの注釈書はおおく、アヴェロエスを凌ぐものであった。キンディーと比べ、ファーラービーはアリストテレスの理解も正確であった。彼も、キンディー同様に真理を追究する情熱は確かなものであり、彼ももちろんムスリムであったが、真理に反対するものであれば服従すべきはずのクルアーンでさえも、許されるものではないと考えていた。
ファーラービーは哲学は真理を求める学問であって、人はこれに専念さえすれば最高の精神の境地へと到達することができると考えた。ファーラービーは、イスラム的であるよりも、哲学的であるべきだと考えていた。しかし、イスラームを始めとする宗教に対して敵意を抱いていたわけではない。彼は、イスラームに哲学の概念を導入することによって、イスラームの国家、政治、社会が安定するように考えていた。また、ファーラービーによると、イスラームにとって重要な概念である啓示は、本来哲学者が直接的に形而上学的認識として把握すべきものとし、預言者ムハンマドはこれを形象的、詩的に表現した天才ではあるが、哲学者よりは一段下と考えざるをえないとまで考えていた。
また、論理学にも長けており、後のヨーロッパのスコラ哲学で大論争となったいわゆる普遍論争は、ファラービーに端を発しているともいわれている。他にも、世界の存在をネオプラトニズム的な流出論からの説明を行ったり、形而上学やキンディーも論じていた知性論を踏まえ、10の知性流出説など深い論及をし、イスラーム哲学においては偉大な存在の人物であったことはもちろんであるが、ファーラービーの論及した問題は後のヨーロッパの中世哲学の要になるようなものばかりであった。

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宇宙論 その4 (4/4)
イブン・スィーナー(アヴィセンナ)
ファーラービーの続く哲学者がアヴィセンナことイブン・スィーナー(980 - 1037年)である。彼は東方イスラーム哲学における絶頂期の哲学者といっても差し支えない。彼は、アリストテレスの注解に多大な力を注ぎ、また独力で数学・物理学・哲学・医学を修め、その名をイスラーム中に轟かしていたという。幾度の政変で必ずしも幸福な人生を遅れなかったが、「医学典範」・「治癒」・「救い」・「指示と勧告」などの壮大な哲学体系は現在においても、いまだ研究途上でさえある。
その論及は多岐に及ぶが、中でも、基本姿勢として貫いているのが存在一般の問題、つまり形而上学である。アヴィセンナは、「空中浮遊人間」説をもって、存在というものを説いた。(この比喩は中世ヨーロッパにおいて論議を呼んだ)すなわち、真空中に浮遊している完全な一人の人間がいる。ただ、完全に盲目であり、外を見ることができない。真空中なので、空気の触感ですら感じられない。彼は、そのような状況で何を感じることができるとすれば、自身の存在である。つまり、「我在り」という自身の存在は確実に肯定するというのである。これに、存在は他と違って本質的に直観知というべきものであり、近世デカルトの有名な「我思う、ゆえに我あり」の命題の先駆的業績を掲げているといえる。この存在の立場から、アヴィセンナは、自然科学や数学のような絶対的な存在のあり方を捉えない学問と形而上学の独自性を主張する。
そのほか、知性・可能性・普遍性の問題など中世あるいは近世・近代の哲学史上で論及されてきた問題の先駆的業績を残した人物であった。また、一方で神秘主義的な傾向が認められ、アリストテレスの解釈としてのイスラーム哲学以外にも、神秘主義的な照明哲学つまり、「東方哲学」と名づけた独自の体系を考えようとした。アヴィセンナ自身は、こちらのほうが自身の考えに近い哲学と考えていたらしいが、現存する資料に乏しく詳しくは分かっていないの現状である。
ガザーリーと哲学批判イメージ 1
キンディーからアヴィセンナまで来て、神学者ガザーリー(1058 - 1111年)の出現で東方イスラーム哲学は大きな変節点を迎える。バグダードのニザーミーヤ学院で教鞭をとっていたガザーリーは、神学者ではあったが、哲学的思惟方法にも長けており、本来の真理とは何か考えていたと同時に、アヴィセンナを代表とする新プラトン的アリストテレスのイスラーム哲学は、真理の形骸のみを知り、生きた真理を捉えようとしないと彼は考えた。そして、哲学者たちは、神の全知の否定や個物知などクルアーンの教えに反する内容を説いていたがこれを宗教的な立場ではなく、哲学的形而上学的な立場から反駁しようとした。著『哲学者の自己矛盾(あるいは自滅)』はその集大成である。
イスラム哲学者たちは、アリストテレスの影響で、世界は時間的には無限で、クルアーンのように神の創世という始原を求めるのは矛盾として否定したが、ガザーリーは、神の創世というは時間的な問題ではなく、本質的な問題であり、例えば太陽のように太陽の本体と光は同時に存ずるが、本質的に太陽があるから光を発せられるのであって、本質的に太陽本体が先に存在するといった感じようなものであるという。哲学者は、時間的な相対的な立場とこのような本質的な立場を混同していると批判した。この他に哲学者が否定した神の個物知の証明や、因果律否定など、後のイギリス哲学者ヒュームを先取りした内容の哲学を説いたりなど、多様な批判活動を行った。このような哲学批判は、元々哲学思想に反感を持っていた一般信者の人々に決定打を放ち、東方イスラームの各地でアヴィセンナの書が「無神論」と非難され、焼き捨てられたり踏みつけられたりする事態となった。
この事態にも関わらず、哲学者の中で反駁するものはおらず、古代ギリシア哲学の移入に始まった東方イスラーム哲学は徐々にその様態を神秘主義的なものへと変質していく。また、ガザーリーの批判に対する反駁は「自己矛盾の自己矛盾(あるいは自滅の自滅)」というガザーリー批判に呼応するタイトルの書を出したアヴェロエスに代表されるように、哲学の舞台はイベリア半島を中心とした西方イスラーム世界へと移って行く。
その他活躍した哲学者たち(東方イスラーム)
翻訳時代には、イスラム教徒以外にも、翻訳活動に従事していた人物が多い。また同時代にキンディーのほかにイブン=ザカリヤー・ラーズィーがいる。また、ファーラービーの弟子には、アーミリー、ヤハヤー・イブン=アディーなどがいる。イブン=スィーナーの弟子には、イブン=マルズバーンやアブー=バラカート・バクダーディーなど師の継承をはかった人物がいる。
・ヨーロッパ中世
ヨーロッパ中世において行われていたスコラ哲学においては、アリストテレスの説を採用し、彼の『自然学』および四元素説も継承していた。そして、月下界(人間から見て、月よりもこちら側寄りの世界)は四元素の離散集合によって生成消滅が起きている世界だが、天上界は(月からあちら側の世界は)、地上の世界とは根本的に別の世界だと想定されており、円運動だけが許される世界で、永遠で不生不滅の世界であるとされていた。そして、天上界は固有の第五元素から構成される、とされていた。
 

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宇宙論 その5 (1/4)
・関連項目
-天国
 天国(heavenとは、
神や天使などがいて、清浄とされる、天上の理想の世界。
信者の霊魂が永久の祝福を受ける場所(キリスト教での用法)。
(転じて)そこで暮らす者にとって、理想的な世界のこと。何にわずらわされることもない、快適な環境。
キリスト教における天国
キリスト教では、天国とは神の愛と至福から成る超自然的な幸福の場と状態、およびキリストが昇天した栄光の座を指す。旧約聖書では、天国では神の玉座が天使の軍勢に囲まれており、王として地上を見下ろして支配する場所(列王上 22:198:3132)。天は宇宙論的に天と地の2つの空間、および天と地と水の3つの空間における、神の支配領域および天使たちの住処でもある。終末思想の発達と共に、メシアを王とし、終末に神によって建てられる王国と見なされるようになった(イザヤ 60:1)。
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キリスト教徒は天国からイエス・キリストが再臨するのを待ち望み、中世のキリスト教美術では最後の審判の様子を描かれたり、来世を歴訪する天国の図像が散見される。例えば、ダンテの『神曲』では、地球を中心として同心円上に各遊星の取り巻くプトレマイオスの天動説宇宙を天国界とし、恒星天、原動天のさらに上にある至高天を構想していた。「天の国」という表現はマタイ福音書に多く見られるが、意味上「神の国」と同義語であるという解釈もある。いずれにせよ、神の支配が実現されている場所を指している。
キリスト教の教理では、最後の審判以前の死者がどこでどのような状態にあるのかについて、各教派間の統一見解を得るに至っていない。
イスラームにおける天国
イスラームにおける天国 (جنّة jannah) は、信教を貫いた者だけが死後に永生を得る所とされる。キリスト教と異なり、イスラム教の聖典『クルアーン』ではイスラームにおける天国の様子が具体的に綴られている。

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宇宙論 その5 (2/4)
他の宗教での類似の概念
インド発祥の宗教
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教ではデーヴァローカが天国に類似する。
仏教
仏教の世界観はヒンドゥー教と起源を同じくしており、デーヴァローカに対応するのは天部(神々)や天人が住む天(天道・天界)である。これは六道最上位、つまり人の住む第2位の人道の1つ上に位置する。しかし仏教では、神々すら輪廻転生に囚われた衆生の一部にすぎない。
それら全体に対し、輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が、仏陀の世界として浄土が存在する。この対立構造においては、天国に相当するのは浄土(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である極楽)である。
-エデンの園
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エデンの園(エデンのその、ヘブライ語: גן עדן‎, ラテン文字転写: Gan Eden)は、旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。楽園の代名詞になっている。パラダイスとも言う(ラテン語: paradisus、古典ギリシャ語: παράδεισος)。地上の楽園とも言う。
創世記の記述
『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」 (2:8) にあり、アダムとイヴはそれを管理するためにそこにおかれ、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は、4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川、ユーフラテス川)に分かれていた。
ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形、主なる神と訳される)はアダムとイヴが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから「人はわれわれのひとりのようになり」、その後、生命の樹の実をも食べ永遠に生きることをおそれ、エデンの園を追放する(失楽園)。生命の樹を守るため、ヤハウェ・エロヒムはエデンの東にケルビムときらめいて回転する炎の剣をおいた。
文学と伝承
ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』では、煉獄山の山頂にエデンの楽園があり、天国に最も近い場所となっている。
なお、エデンとはヘブライ語で快楽、アッカド語で園という意味である。この過程でキリスト教徒たちはエデンの園を、パラダイス、神が存在する地上の楽園と考えたのである。しかし同じ系統であるユダヤ教徒やムスリムにはその様な概念はない。
中世のキリスト教伝承では、アダムの三男セツがエデンの園に渡ったと言う伝説が生まれた。
エデンの場所
エデンがどこであったのかについては、古来、様々な場所が主張され、議論されてきた。その中には、創世記に典拠がみとめられないものも少なからずある。
なお、多くの説では、エデンがアルメニアの近くにあったと主張している。またユダヤ教の伝承によれば、エデンはアルメニアの現在の首都エレバンにあったという。エレバンの近くにはノアの箱舟が流れ着いた場所との説があるアララト山がある。
他に、紀元前6000年頃は海面はもっと低かったため、現在は海となっているペルシャ湾やメソポタミア南部に比定する説も有る。
紀元前2600 - 2500年頃、メソポタミアにおいてラガシュとウンマという二つの都市国家が「グ・エディン」(平野の首)という肥沃な土地をめぐって戦争を繰り返しているが、このグ・エディンがエデンの園のモデルであるとする説がある。
 

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宇宙論 その5 (3/4)
-地獄
 旧約聖書や新約聖書まで、地獄に関する内容が数十箇所に現れる。ギリシャ語聖書の記事中に、地獄と訳される事がある語彙は、ゲヘンナ(γεεννα、現代ギリシャ語ではゲエンナ)とハデース(ᾍδης、現代ギリシャ語ではアディス)の2種類がある。欽定訳聖書(英語)においては"hell"がいずれに対しても訳語として用いられていて訳し分けられていない。日本語訳聖書においてはこの2種類はギリシャ語原文に従って訳し分けられる傾向がある。
この2種類の語彙・概念をどの程度違うものとして捉えるかは、教派・考え方によって異なっている。本記事ではこの2種類の語彙いずれも扱う。なお教派ごとに地獄についての理解が異なるため、概念概要と語義について詳述したのち、教派ごとの理解に移る。
概念
キリスト教での地獄は一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。苦しみの現実性については、神が見えないことによる渇望的な苦しみと、神の怒りや自分の良心の究明などが炎と化して霊魂や復活した体を苛むとする、神の不在と聖書の火と両方を苦しみの主体と捉える教派もあれば、単に前者のみと考える人達もあり、見解は分かれる。
他方、地獄を霊魂の死後の状態に限定せず、愛する事が出来ない苦悩・神の光に浴する事が出来ない苦悩という霊魂の状態を指すとし、この世においても適用出来る概念として地獄を理解する見解が正教会にある。この見解はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老の台詞にもみえる。地獄を死後の場所に限定せず、霊魂の状態として捉える理解は、楽園が霊魂の福楽であると捉える理解と対になっている。
語義・訳語
ギリシャ語における二つの語彙の概念差
ギリシャ語においては、英語で"hell"と訳される語彙として、γέεννα(古典ギリシャ語再建音:ゲヘンナ、現代ギリシャ語転写:ゲエンナ)と、ᾍδης(古典ギリシャ語再建音:ハデース、現代ギリシャ語転写:アディス)の2つの語彙があり、両語彙とも旧約聖書・新約聖書に使われている。
 
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ゲヘンナは原語では「ヒンノムの谷」の意である。この谷ではアハズ王の時代にモロク神に捧げる火祭に際して幼児犠牲が行われたこと、ヨシヤ王の改革で谷が汚されたことがあり、町の汚物の捨て場とされた。このような経緯から、新約聖書ではゲヘンナは来世の刑罰の場所として考えられるようになった。一方、ハデースはギリシャ語の「姿なく、おそろしい」の意から派生したもので、ヘブライ語のシェオルに当たる。古代の神話では死者の影が住む地下の王国とされた。
以下に二つの語彙の概念差についての概要を述べるが、キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。教派ごとの捉え方の詳細については後述する。
ゲヘンナとハデースの間には厳然とした区別があるとする見解と、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解など、両概念について様々な捉え方がある。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所であるとされる。一方、ハデースは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデースは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデースは終焉する。他方、別の捉え方もあり、ハデースは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと1つにされるとする。
上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる。
各言語における訳し分け
ギリシャ語から他言語に翻訳するにあたりこの2つの語彙をどのように処理するかについて、2つの語彙を当てて訳し分けるか、それとも同じ語彙を当てるか、いずれかの方策が各種各言語翻訳によって採られる事となっている。
カトリック教会で広く使われたヴルガータ版ラテン語聖書では、Γέενναgĕhennaを、ᾍδηςInfernumを当てている。スラヴ系の正教会で広く使われる教会スラヴ語訳聖書では、ΓέενναГееннаを、ᾍδηςАдъを当てている。
しかしながら英語訳である欽定訳聖書ではこのような訳し分けがなされず、いずれも"hell"と訳されている。英語のhellの語はかつてギリシャ語のハデス、ヘブライ語のシェオルに対応していたが、17世紀以降にゲヘナをあらわす意味に変化した。

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宇宙論 その5 (4/4)
・現代
西欧では、(19世紀の学者もそうであったが)20世紀初頭の物理学者らも、宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なものである、という見解を持っていた。
現代的な宇宙論研究は観測と理論の両輪によって発展した。
1915年、アルベルト・アインシュタインは一般相対性理論を構築した。アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いたアインシュタイン方程式に宇宙定数を加えた。しかしこのいわゆる「アインシュタイン宇宙モデル」は不安定なモデルである。この宇宙モデルは最終的には膨張もしくは収縮に至る。一般相対論の宇宙論的な解はアレクサンドル・フリードマンによって発見された。彼の方程式はフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に基づく膨張(収縮)宇宙を記述している。
1910年代にヴェスト・スライファーとやや遅れてカール・ウィルヘルム・ヴィルツは渦巻星雲の赤方偏移はそれらの天体が地球から遠ざかっていることを示すドップラーシフトであると解釈した。しかし天体までの距離を決定するのは非常に困難だった。すなわち、天体の角直径を測ることができたとしても、その実際の大きさや光度を知ることはできなかった。そのため彼らは、それらの天体が実際には我々の天の川銀河の外にある銀河であることに気づかず、自分達の観測結果の宇宙論的な意味についても考えることはなかった。
1920426日、アメリカ国立科学院においてハーロー・シャプレーとヒーバー・ダウスト・カーチスが、『宇宙の大きさ』と題する公開討論会を行った。一方のシャプレーは、「我々の銀河系の大きさは直径約30万光年程度で、渦巻星雲は球状星団と同じように銀河系内にある」との説を展開し、対するカーチスは、「銀河系の大きさは直径約2万光年程度で、渦巻星雲は、(この銀河系には含まれない)独立した別の銀河である」との説を展開した。この討論は天文学者らにとって影響が大きく、「The Great Debate」あるいは「シャプレー・カーチス論争」と呼ばれるようになった。
1927年にはベルギーのカトリック教会の司祭であるジョルジュ・ルメートルがフリードマン・ルメートル・ロバートソン・ウォーカーの式を独立に導き、渦巻星雲が遠ざかっているという観測に基づいて、宇宙は「原始的原子」の「爆発」から始まった、とする説を提唱した。これは後にビッグバンと呼ばれるようになった。1929年にエドウィン・ハッブルはルメートルの理論に対する観測的裏付けを与えた。ハッブルは渦巻星雲が銀河であることを証明し、星雲に含まれるケフェイド変光星を観測することでこれらの天体までの距離を測定した。彼は銀河の赤方偏移とその光度の間の関係を発見した。彼はこの結果を、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退していると解釈した。この事実はハッブルの法則として知られている。ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確かめられたものだった。観測した銀河の距離が最初の約10倍にまで達したところでハッブルはこの世を去った。
宇宙原理の仮定の下では、ハッブルの法則は宇宙が膨張していることを示すことになる。このアイデアからは2つの異なる可能性が考えられる。1つはルメートルが発案し、ジョージ・ガモフによって支持・発展されたビッグバン理論である。もう1つの可能性はフレッド・ホイルの定常宇宙モデルである。定常宇宙論では銀河が互いに遠ざかるにつれて新しい物質が生み出される。このモデルでは宇宙はどの時刻においてもほぼ同じ姿となる。長年にわたって、この両方のモデルに対する支持者の数はほぼ同数に分けられていた。
しかしその後、宇宙は高温高密度の状態から進化してきたという説を支持する観測的証拠が見つかり始めた。1965年の宇宙マイクロ波背景放射の発見以来、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論と見なされるようになった。1960年代終わりよりも前には、多くの宇宙論研究者は、フリードマンの宇宙モデルの初期状態に現れる密度無限大の特異点は数学的な理想化の結果出てくるものであって、実際の宇宙は高温高密度状態の前には収縮しており、その後再び膨張するのだと考えていた。このようなモデルをリチャード・トールマンの振動宇宙論と呼ぶ。1960年代にスティーヴン・ホーキングとロジャー・ペンローズが、振動宇宙論は実際にはうまくいかず、特異点はアインシュタインの重力理論の本質的な性質であることを示した。これによって宇宙論研究者の大部分は、宇宙が有限時間の過去から始まったとするビッグバン理論を受け入れるようになった。
ただし現在でも一部の研究者は、ビッグバン理論のほころびを指摘し、定常宇宙論やプラズマ宇宙論などの宇宙論を支持している。

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宇宙論 基礎理論 その1
宇宙論cosmologyは、宇宙の構造や性質、歴史などについて研究する学問である。日本語ではコスモロジーとも呼ばれ、以下のような異なる学問分野で研究対象となっている。
哲学・形而上学
宗教学
倫理学
天文学・宇宙物理学
ここでは特に天文学・宇宙物理学の1分野としての宇宙論 (physical cosmology) を扱う。

・概論
イメージ 1天文学・宇宙物理学における宇宙論は、我々の宇宙自身の大スケールでの構造の研究を行なうもので、宇宙自体の生成と進化についての根本的な疑問に関連している。人類の歴史の大部分の時代には、宇宙論は形而上学の1分野とされていた。自然科学としての宇宙論は、天体は地上の物体に働いているのと同じ物理法則に従っていることを示唆するコペルニクスの原理と、それらの天体の運動の理解を初めて可能にしたニュートン力学に端を発している。これらは現在では天体力学と呼ばれている。現代の宇宙論は20世紀初めにアルベルト・アインシュタインによる一般相対性理論の発展と、非常に遠い距離にある天体の観測技術の進歩によって始まった。
20世紀の宇宙論の発展によって、宇宙の起源について仮説を立てることが可能になり、研究者は宇宙論の指導的理論としてビッグバンを考え出した。ビッグバンは現在、ほとんどの宇宙論研究者によって自らの理論や観測の基礎として受け入れられている。(研究者の一部は現在でも定常宇宙論プラズマ宇宙論といった非主流的な宇宙論を支持しているものの、多数の宇宙論研究者は一般に、観測結果を説明するモデルとしてはビッグバンが最も良いという見解で一致している。)宇宙論は大まかに言って宇宙に存在する最も大きな天体(銀河銀河団超銀河団)を扱い、また宇宙の最も初期に形成された独特の天体(クエーサー)や、ほぼ一様だった最初期の宇宙自身を研究対象とする。
宇宙論は、素粒子物理学の実験結果に強く影響されること、研究内容が天体物理学一般相対性理論プラズマ物理学から果ては現象学超弦理論などにまで及ぶといった点で、物理学の中では異質の学問分野である。
・宇宙論の歴史
近代的な宇宙論研究は観測と理論の両輪によって発展した。1915、アルベルト・アインシュタインは一般相対性理論を構築した。この頃の物理学者は宇宙は始まりも終わりもない完全に静的なものであるという見解を持っていた。アインシュタインは物質の存在する宇宙が静的になるように、自分が導いたアインシュタイン方程式宇宙定数を加えた。しかしこのいわゆるアインシュタイン宇宙モデルは不安定なモデルである。この宇宙モデルは最終的には膨張もしくは収縮に至る。一般相対論の宇宙論的な解はアレクサンドル・フリードマンによって発見された。彼の方程式はフリードマン・ロバートソン・ウォーカー計量に基づく膨張(収縮)宇宙を記述している。
1910年代ヴェスト・スライファーとやや遅れてカール・ウィルヘルム・ヴィルツ渦巻星雲赤方偏移はそれらの天体が地球から遠ざかっていることを示すドップラーシフトであると解釈した。しかし天体までの距離を決定するのは非常に困難だった。すなわち、天体の角直径を測ることができたとしても、その実際の大きさや光度を知ることはできなかった。そのため彼らは、それらの天体が実際には我々の天の川銀河の外にある銀河であることに気づかず、自分達の観測結果の宇宙論的な意味についても考えることはなかった。1927にはベルギーのカトリック教会の司祭であるジョルジュ・ルメートルがフリードマン・ルメートル・ロバートソン・ウォーカーの式を独立に導き、渦巻星雲が遠ざかっているという観測に基づいて、宇宙は「原始的原子」の「爆発」から始まったとする説を提唱した。これは後にビッグバンと呼ばれるようになった。1929エドウィン・ハッブルはルメートルの理論に対する観測的裏付けを与えた。ハッブルは渦巻星雲が銀河であることを証明し、星雲に含まれるセファイド変光星を観測することでこれらの天体までの距離を測定した。彼は銀河の赤方偏移とその光度の間の関係を発見した。彼はこの結果を、銀河が全ての方向に向かってその距離に比例する速度(地球に対する相対速度)で後退していると解釈した。この事実はハッブルの法則として知られている。ただしこの距離と後退速度の関係は正確には比較的近距離の銀河についてのみ確かめられたものだった。観測した銀河の距離が最初の約10倍にまで達したところでハッブルはこの世を去った。
宇宙原理の仮定の下では、ハッブルの法則は宇宙が膨張していることを示すことになる。このアイデアからは2つの異なる可能性が考えられる。1つはルメートルが発案し、ジョージ・ガモフによって支持・発展されたビッグバン理論である。もう1つの可能性はフレッド・ホイル定常宇宙モデルである。定常宇宙論では銀河が互いに遠ざかるにつれて新しい物質が生み出される。このモデルでは宇宙はどの時刻においてもほぼ同じ姿となる。
長年にわたって、この両方のモデルに対する支持者の数はほぼ同数に分けられていた。しかしその後、宇宙は高温高密度の状態から進化してきたという説を支持する観測的証拠が見つかり始めた。1965宇宙マイクロ波背景放射の発見以来、ビッグバン理論が宇宙の起源と進化を説明する最も良い理論と見なされるようになった。1960年代終わりよりも前には、多くの宇宙論研究者は、フリードマンの宇宙モデルの初期状態に現れる密度無限大の特異点は数学的な理想化の結果出てくるもので、実際の宇宙は高温高密度状態の前には収縮しており、その後再び膨張するのだと考えていた。このようなモデルをリチャード・トールマン振動宇宙論と呼ぶ。1960年代にスティーヴン・ホーキングロジャー・ペンローズが、振動宇宙論は実際にはうまくいかず、特異点はアインシュタインの重力理論の本質的な性質であることを示した。これによって宇宙論研究者の大部分は、宇宙が有限時間の過去から始まったというビッグバンを受け入れるようになった。

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宇宙論 基礎理論 その2
・研究分野
以下に宇宙論での最も活動的な研究分野のいくつかを大まかな時系列順に挙げる。このリストはビッグバン宇宙論の全てを網羅するものではない。
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-最初期の宇宙
初期の高温の宇宙については、宇宙創生から約10-33秒後から始まったビッグバンによってうまく説明されるが、いくつかの問題もある。その1つは、現在の素粒子物理学の理論からは、宇宙が平坦で一様・等方になる必然的理由が存在しない、というものである。しかも、素粒子物理学の大統一理論では宇宙にモノポールが存在するはずだが、実際には全く見つかっていない。これらの問題は、宇宙初期にインフレーションと呼ばれる時期が存在したと仮定することで解決される。このインフレーションによって我々の宇宙は平坦になり、非等方性や非一様性も観測可能なレベル以下に均され、モノポールも指数関数的膨張によって薄められる。インフレーション宇宙の背後にある物理モデルは非常に単純だが、これはまだ素粒子物理学の側面からは検証されておらず、インフレーションと量子場理論の両立には困難な問題が存在している。宇宙論研究者の中には、ひも理論ブレイン宇宙論がインフレーションに代わる解決策を提供すると考えている人々もいる。
宇宙論におけるもう1つの大きな問題に、我々の宇宙には物質が反物質よりも多く含まれているという問題がある。宇宙論研究者は宇宙のX観測によって、我々の宇宙は物質と反物質が占める領域に分かれているのではなく、圧倒的大部分が物質でできている、と推定している。この問題はバリオンの非対称性と呼ばれ、このような非対称性が生まれた過程をバリオン数生成と呼ぶ。バリオン数生成の理論は1967アンドレイ・サハロフによって作られ、バリオンと反バリオンの非対称性が生み出されるためにはCP対称性と呼ばれる素粒子物理学の対称性が物質と反物質について破れていることが必要とされている。しかし現在の加速器実験では、CP対称性の破れの測定値はバリオンの非対称を説明するには小さ過ぎることが分かっている。宇宙論研究者と素粒子物理学者は初期宇宙に存在した別のCP対称性の破れがバリオン非対称を説明するかもしれないと考えている。
バリオン数生成の問題とインフレーション宇宙の問題は共に素粒子物理学と深く関係しており、その解決は宇宙の観測よりも高エネルギー物理学の理論や実験からもたらされるかもしれない。
-ビッグバン元素合成
ビッグバン元素合成は初期宇宙での元素の生成理論である。初期宇宙での元素合成は宇宙創生から約3分が経過し、宇宙の温度が核融合反応が止まるほどに下がった時点で終了した。ビッグバン元素合成が起こった時間はこのように短いため、この過程で作られた元素は恒星内部での元素合成と異なり最も軽い元素のみだった。元素合成は水素イオン(陽子)から始まり、主として重水素ヘリウム4リチウムが作られた。これ以外の元素はごく微量しか作られなかった。元素合成の基礎理論は1948ジョージ・ガモフラルフ・アルファーロバート・ハーマンによって作られて以来数十年にわたって研究されており、元素合成はビッグバン時代の物理を知る非常に敏感なプローブとなる。なぜなら、ビッグバン元素合成の理論は宇宙初期から存在する軽元素の存在量や初期宇宙の特徴と結び付いているからである。具体的には、元素合成の理論が等価原理のテストやダークマターの検出、ニュートリノ物理学のテストなどに用いられている。宇宙論研究者の中には、ビッグバン元素合成によって第4の「無菌状態」のニュートリノが存在することが示唆されると提唱している人々もいる。
-宇宙マイクロ波背景放射
宇宙マイクロ波背景放射は、原子が最初に形成され、ビッグバンによって生み出された放射が荷電イオンによるトムソン散乱を受けなくなった脱結合期以来残っている放射である。この背景放射は1965アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって最初に観測され、完全な黒体放射のスペクトルを持っている。放射の温度は今日では2.7Kで、105分の1の精度で等方的である。初期宇宙のわずかな非一様性の進化を記述する宇宙論的ゆらぎの理論によって、研究者は背景放射の角パワースペクトルを正確に計算することができ、同時に最近の衛星観測実験(COBE WMAP)や多くの地上観測・気球観測実験(Degree Angular Scale Interferometer, Cosmic Background Imager, BOOMERanG)によって測定が行なわれている。これらの研究の目標の1つは、Λ-CDMモデルの基本パラメーターを高い精度で測定することであり、またビッグバンモデルの予言をテストし、新たな物理学を探求することである。例として、最近行なわれた WMAP による観測結果はニュートリノの質量に制限を与えている。
また、宇宙マイクロ波背景放射の偏光を測定するという新たな実験も試みられている。これによって理論がさらに確認され、また宇宙のインフレーションや、銀河や銀河団と宇宙マイクロ波背景放射との相互作用によって起こるスニヤエフ・ゼルドビッチ効果ザックス・ヴォルフェ効果といったいわゆる第二の非等方性に関する情報が得られるものと考えられている。
-大規模構造の形成・進化
宇宙で最も大きな、また最も初期に存在した構造(クエーサー、銀河、銀河団、超銀河団)の形成と進化について理解する研究は、宇宙論の主要な目的の1つである。現在、宇宙論に関わる研究者は階層的構造形成モデルを標準モデルと考え研究を行なっている。これは宇宙に存在する構造はより小さな天体から作られ、そこから小質量の構造が衝突・合体を繰り返すことで、銀河団・超銀河団のような大質量の構造が形成されたとするモデルである。この様に小質量の構造から構造形成が進むシナリオはボトムアップ・シナリオと呼ばれている。超銀河団のような最も大きな構造は、ビリアル平に達しておらず、現在でも進化していると考えられている。宇宙の構造を研究する最も単純な方法は、目に見える銀河をサーベイして宇宙における銀河の三次元分布を構築し、物質分布のパワースペクトルを求めることである。このようなアプローチの実例として、スローンデジタルスカイサーベイや2dF銀河赤方偏移サーベイなどがある。
このような構造形成を理解するための重要な道具として計算機によるシミュレーションがある。宇宙論研究者は数値シミュレーションを用いて、宇宙で物質が重力で凝集し、フィラメントや超銀河団、ボイドといった構造を作る過程を研究している。ほとんどのシミュレーションではバリオンでない冷たいダークマターのみを用いている。この仮定は宇宙の最も大きなスケールでの振る舞いを理解するためには十分なものである。なぜなら我々の宇宙には目に見えるバリオン物質よりもはるかに多くのダークマターが存在するためである。現在ではバリオンも計算に含み、個々の銀河の形成を研究するより高度なシミュレーションも始まっている。宇宙論研究者はこのようなシミュレーションによって、計算結果が銀河のサーベイ観測と一致するか、また不一致がある場合にはその原因を理解できるかどうかを調べている。
またこれ以外にも、遠方の宇宙の物質分布を測定したり再電離の時期を検出するための補完的手法がある。例として以下のようなものがある。
ライマンアルファの森と呼ばれる、遠方のクエーサーの光に含まれる銀河間ガス雲の吸収線を測定することで、初期宇宙の中性水素原子の分布を測定することができる。
中性水素原子の21cmの吸収線の測定も宇宙論の高精度のテストとして用いることができる。
ダークマターの重力レンズ効果によって遠方天体の画像が歪む弱い重力レンズ (weak lensing) も研究に用いることができる。
このような手法は、最初のクエーサーがいつ生まれたかといった問題を解く手掛かりとなる可能性がある。
 

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宇宙論 基礎理論 その3(終わり)
 
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-ダークマター
ビッグバン元素合成や宇宙マイクロ波背景放射、構造形成の研究によって得られる証拠から、我々の宇宙の質量の約25%は非バリオンのダークマターで、目に見えるバリオン物質は約4%に過ぎないことが分かっている。ダークマターの重力効果はよく理解されており、ダークマターは銀河を取り巻くハロー状に存在し、低温(相対論的速度を持たない)で、放射を出さない物質のように振舞う。ダークマターは実験室ではいまだに検出されておらず、その素粒子物理学的性質は全く分かっていない。しかしダークマターの候補は数多く挙げられており、その例としては安定な超対称性粒子、WIMP、アクシオン、MACHOなどがある。また、重力が弱い場合の重力相互作用の式自体を修正する修正ニュートン力学 (MOND) やブレーン宇宙論でダークマターを説明しようとする研究者もいる。
また、活動銀河中心核や大質量ブラックホールなどの銀河中心の物理学からダークマターの正体に関する手掛かりが得られる可能性もある。
-ダークエネルギー
宇宙の曲率が平坦であるとすると、宇宙のエネルギー密度には25%のダークマターと4%のバリオンに加えて71%の別の成分が存在しなければならない。この成分をダークエネルギーと呼ぶ。ダークエネルギーの存在がビッグバン元素合成や宇宙マイクロ波背景放射の観測結果と矛盾しないためには、ダークエネルギーはバリオンやダークマターとは異なり、ハロー状に集積しない必要がある。ダークエネルギーの存在については強い観測的証拠がある。すなわち、宇宙の全質量は既に分かっており、また宇宙の曲率は平坦であることが測定から判明しているが、天体として集合している分の質量を精密に測定した結果、その質量は宇宙を平坦にするには少なすぎることが分かっている。ダークエネルギーの存在は1999になって、現在の宇宙が(速さは異なるものの)インフレーション期と同様の加速膨張をしていることが観測的に示されたことでさらに強まった。
しかし、ダークエネルギーの性質については、そのエネルギー密度や集積しないという性質以外には何も分かっていない。量子場理論からは宇宙定数がダークエネルギーとよく似た振る舞いをすることが予言されているが、その大きさは実際のダークエネルギーより約120桁も大きい。スティーブン・ワインバーグや多くのひも理論研究者は、この事実を人間原理の証拠として取り上げてきた。彼らは、宇宙定数がこのように小さいのは、宇宙定数が大きな宇宙には生命(や宇宙を観測する物理学者)が存在できないからである、としている。しかし多くの人々はこの説明はダークエネルギーの説明としては不足であることを指摘している。ダークエネルギーに関する別の説明としては、クインテセンスや大きなスケールでの重力相互作用の修正などがある。これらのモデルが記述するダークエネルギーの宇宙論的効果はダークエネルギーの状態方程式で与えられ、理論ごとに異なる状態方程式に従う。ダークエネルギーの正体は宇宙論における最も困難な問題の1つである。
ダークエネルギーについての理解が進めば、宇宙の終焉がどうなるかという問題にも答が得られる可能性がある。宇宙の歴史において、ダークエネルギーによる現在の加速膨張は、超銀河団よりも大きな構造が作られることを妨げていると考えられる。この加速膨張が将来も続くかどうかは分かっていない。ダークエネルギーが時間的に増加して加速膨張の度合が大きくなればやがてビッグリップを迎えるかもしれないし、あるいは時間とともに減少すれば最終的に宇宙は収縮に転じるかもしれない。
・その他の研究分野
非主流的な宇宙論は過去の、または、現在の科学的コンセンサスに従わないどんな宇宙論の仮説かモデルにも適用された用語である。それは捨てられた歴史的な理論を参照するだけではなく、現在標準の宇宙で法人組織であることの特別な理論も参照。第一に、それはどんな局面でもビッグバン概念に矛盾する重大な新型を表している。例えば:
ド・ジッター宇宙
マイン・モデル
Brans-Dicke理論
ゲーデル解
準定常宇宙論
スケールで広がる宇宙 (Scale Expanding Cosmos)
プラズマ宇宙論
本質的赤方偏移
疲れたライト(赤方偏移) (Tired light)
宇宙論でも以下のような問題にも取り組んでいる。
我々の宇宙で原始ブラックホールは作られたか、またそれらについて何が起きたか。
超高エネルギー宇宙線のGZK限界の問題。またこの問題が高エネルギー領域での特殊相対性理論の破綻を示しているかどうか。
等価原理の問題。アインシュタインの一般相対性理論は重力の理論として正しいかどうか、また物理学の基本法則は宇宙のどこでも同じかどうか。

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現代宇宙論 その1
現代宇宙論(contemporary cosmologyは、すなわち、現代の宇宙論である。現代の科学者が「現代宇宙論」という言葉で指しているのは、おおむね英語のphysical cosmology フィジカル・コスモロジーに相当する。フィジカル・コスモロジーは、物理学と天文物理学の一部門であり、宇宙の大規模構造および宇宙の生成や宇宙の変化に関する根本的な問題を扱っている。
・概論
現代の宇宙論は大まかに言って宇宙に存在する最も大きな天体(銀河、銀河団、超銀河団)を扱い、また宇宙の最も初期に形成された独特の天体(クエーサー)や、ほぼ一様だった最初期の宇宙自身を研究対象とする。
素粒子物理学の実験結果に強く影響されること、研究内容が天体物理学や一般相対性理論、プラズマ物理学から現象学や超弦理論などに及ぶといった点で、物理学の中では異質の学問分野である。
・歴史
-研究分野
以下に現代宇宙論での最も活動的な研究分野のいくつかを大まかな時系列順に挙げる。このリストはビッグバン宇宙論の全てを網羅するものではない。
-最初期の宇宙
初期の高温の宇宙については、宇宙創生から約10-33秒後から始まったビッグバンによってうまく説明されるが、いくつかの問題もある。その一つは、現在の素粒子物理学の理論からは、宇宙が平坦で一様・等方になる必然的理由が存在しない、というものである。しかも、素粒子物理学の大統一理論では宇宙にモノポールが存在するはずだが、実際には全く見つかっていない。これらの問題は、宇宙初期にインフレーションと呼ばれる時期が存在したと仮定することで解決される。このインフレーションによって我々の宇宙は平坦になり、非等方性や非一様性も観測可能なレベル以下に均され、モノポールも指数関数的膨張によって薄められる。インフレーション宇宙の背後にある物理モデルは非常に単純だが、これはまだ素粒子物理学の側面からは検証されておらず、インフレーションと量子場理論の両立には困難な問題が存在している。宇宙論研究者の中には、ひも理論やブレイン宇宙論がインフレーションに代わる解決策を提供すると考えている人々もいる。
宇宙論におけるもう一つの大きな問題に、我々の宇宙には物質が反物質よりも多く含まれているという問題がある。宇宙論研究者は宇宙のX線観測によって、我々の宇宙は物質と反物質が占める領域に分かれているのではなく、圧倒的大部分が物質でできている、と推定している。この問題はバリオンの非対称性と呼ばれ、このような非対称性が生まれた過程をバリオン数生成と呼ぶ。バリオン数生成の理論は1967年にアンドレイ・サハロフによって作られ、バリオンと反バリオンの非対称性が生み出されるためにはCP対称性と呼ばれる素粒子物理学の対称性が物質と反物質について破れていることが必要とされている。しかし現在の加速器実験では、CP対称性の破れの測定値はバリオンの非対称を説明するには小さ過ぎることが分かっている。宇宙論研究者と素粒子物理学者は初期宇宙に存在した別のCP対称性の破れがバリオン非対称を説明するかもしれないと考えている。
バリオン数生成の問題とインフレーション宇宙の問題は共に素粒子物理学と深く関係しており、その解決は宇宙の観測よりも高エネルギー物理学の理論や実験からもたらされるかもしれない。
・ビッグバン元素合成
 ビッグバン元素合成は初期宇宙での元素の生成理論である。初期宇宙での元素合成は宇宙創生から約3分が経過し、宇宙の温度が核融合反応が止まるほどに下がった時点で終了した。ビッグバン元素合成が起こった時間はこのように短いため、この過程で作られた元素は恒星内部での元素合成と異なり最も軽い元素のみだった。元素合成は水素イオン(陽子)から始まり、主として重水素とヘリウム4、リチウムが作られた。これ以外の元素はごく微量しか作られなかった。元素合成の基礎理論は1948年にジョージ・ガモフ、ラルフ・アルファー、ロバート・ハーマンによって作られて以来数十年にわたって研究されており、元素合成はビッグバン時代の物理を知る非常に敏感なプローブとなる。なぜなら、ビッグバン元素合成の理論は宇宙初期から存在する軽元素の存在量や初期宇宙の特徴と結び付いているからである。具体的には、元素合成の理論が等価原理のテストやダークマターの検出、ニュートリノ物理学のテストなどに用いられている。宇宙論研究者の中には、ビッグバン元素合成によって第4の「無菌状態(sterileの訳語・同語には他に不妊、不毛などの意がある)」のニュートリノが存在することが示唆されると提唱している人々もいる。
・宇宙マイクロ波背景放射
宇宙マイクロ波背景放射は、原子が最初に形成され、ビッグバンによって生み出された放射が荷電イオンによるトムソン散乱を受けなくなった再結合期(宇宙の晴れ上がり)以来残っている放射である。この背景放射は1965年にアーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンによって最初に観測され、完全な黒体放射のスペクトルを持っている。放射の温度は今日では2.7Kで、105 分の1の精度で等方的である。初期宇宙のわずかな非一様性の進化を記述する宇宙論的ゆらぎの理論によって、研究者は背景放射の角パワースペクトルを正確に計算することができ、同時に最近の衛星観測実験(COBE WMAP)や多くの地上観測・気球観測実験(Degree Angular Scale Interferometer, Cosmic Background Imager, MAXIMA, BOOMERanG)によって測定が行なわれている。これらの研究の目標の1つは、Λ-CDMモデルの基本パラメーターを高い精度で測定することであり、またビッグバンモデルの予言をテストし、新たな物理学を探求することである。例として、最近行なわれた WMAP による観測結果はニュートリノの質量に制限を与えている。
また、宇宙マイクロ波背景放射の偏光を測定するという新たな実験も試みられている。これによって理論がさらに確認され、また宇宙のインフレーションや、銀河や銀河団と宇宙マイクロ波背景放射との相互作用によって起こるスニヤエフ・ゼルドビッチ効果やザックス・ヴォルフェ効果といったいわゆる第二の非等方性に関する情報が得られるものと考えられている。

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現代宇宙論 その2(終わり)
・大規模構造の形成・進化
宇宙で最も大きな、また最も初期に存在した構造(クエーサー、銀河、銀河団、超銀河団)の形成と進化について理解する研究は、宇宙論の主要な目的の1つである。現在、宇宙論に関わる研究者は階層的構造形成モデルを標準モデルと考え研究を行なっている。これは宇宙に存在する構造はより小さな天体から作られ、そこから小質量の構造が衝突・合体を繰り返すことで、銀河団・超銀河団のような大質量の構造が形成されたとするモデルである。この様に小質量の構造から構造形成が進むシナリオはボトムアップ・シナリオと呼ばれている。超銀河団のような最も大きな構造は、ビリアル平衡に達しておらず、現在でも進化していると考えられている。宇宙の構造を研究する最も単純な方法は、目に見える銀河をサーベイして宇宙における銀河の3次元分布を構築し、物質分布のパワースペクトルを求めることである。このようなアプローチの実例として、スローン・デジタル・スカイサーベイや2dF銀河赤方偏移サーベイなどがある。
このような構造形成を理解するための重要な道具として計算機によるシミュレーションがある。宇宙論研究者は数値シミュレーションを用いて、宇宙で物質が重力で凝集し、フィラメントや超銀河団、ボイドといった構造を作る過程を研究している。ほとんどのシミュレーションではバリオンでない冷たいダークマターのみを用いている。この仮定は宇宙の最も大きなスケールでの振る舞いを理解するためには十分なものである。なぜなら我々の宇宙には目に見えるバリオン物質よりもはるかに多くのダークマターが存在するためである。現在ではバリオンも計算に含み、個々の銀河の形成を研究するより高度なシミュレーションも始まっている。宇宙論研究者はこのようなシミュレーションによって、計算結果が銀河のサーベイ観測と一致するか、また不一致がある場合にはその原因を理解できるかどうかを調べている。
またこれ以外にも、遠方の宇宙の物質分布を測定したり再電離の時期を検出するための補完的手法がある。例として以下のようなものがある。
ライマンアルファの森と呼ばれる、遠方のクエーサーの光に含まれる銀河間ガス雲の吸収線を測定することで、初期宇宙の中性水素原子の分布を測定することができる。
中性水素原子の21cm線の吸収線の測定も宇宙論の高精度のテストとして用いることができる。
ダークマターの重力レンズ効果によって遠方天体の画像が歪む弱い重力レンズ (weak lensing) も研究に用いることができる。
このような手法は、最初のクエーサーがいつ生まれたかといった問題を解く手掛かりとなる可能性がある。
・ダークマター
 ビッグバン元素合成や宇宙マイクロ波背景放射、構造形成の研究によって得られる証拠から、我々の宇宙の質量の約25%は非バリオンのダークマターで、目に見えるバリオン物質は約4%に過ぎないことが分かっている。ダークマターの重力効果はよく理解されており、ダークマターは銀河を取り巻くハロー状に存在し、低温(相対論的速度を持たない)で、放射を出さない物質のように振舞う。ダークマターは実験室ではいまだに検出されておらず、その素粒子物理学的性質は全く分かっていない。しかしダークマターの候補は数多く挙げられており、その例としては安定な超対称性粒子、WIMP、アクシオン、MACHOなどがある。また、重力が弱い場合の重力相互作用の式自体を修正する修正ニュートン力学 (MOND) やブレイン宇宙論でダークマターを説明しようとする研究者もいる。
また、活動銀河中心核や大質量ブラックホールなどの銀河中心の物理学からダークマターの正体に関する手掛かりが得られる可能性もある。
・ダークエネルギー
宇宙の曲率(Shape of the Universe)が平坦であるとすると、宇宙のエネルギー密度には25%のダークマターと4%のバリオンに加えて71%の別の成分が存在しなければならない。この成分をダークエネルギーと呼ぶ。ダークエネルギーの存在がビッグバン元素合成や宇宙マイクロ波背景放射の観測結果と矛盾しないためには、ダークエネルギーはバリオンやダークマターとは異なり、ハロー状に集積しない必要がある。ダークエネルギーの存在については強い観測的証拠がある。すなわち、宇宙の全質量は既に分かっており、また宇宙の曲率は平坦であることが測定から判明しているが、天体として集合している分の質量を精密に測定した結果、その質量は宇宙を平坦にするには少なすぎることが分かっている。ダークエネルギーの存在は1999年になって、現在の宇宙が(速さは異なるものの)インフレーション期と同様の加速膨張をしていることが観測的に示されたことでさらに強まった。
しかし、ダークエネルギーの性質については、そのエネルギー密度や集積しないという性質以外には何も分かっていない。量子場理論からは宇宙定数がダークエネルギーとよく似た振る舞いをすることが予言されているが、その大きさは実際のダークエネルギーより約120桁も大きい。スティーブン・ワインバーグや多くのひも理論研究者は、この事実を人間原理の証拠として取り上げてきた。彼らは、宇宙定数がこのように小さいのは、宇宙定数が大きな宇宙には生命(や宇宙を観測する物理学者)が存在できないからである、としている。しかし多くの人々はこの説明はダークエネルギーの説明としては不足であることを指摘している。ダークエネルギーに関する別の説明としては、クインテセンスや大きなスケールでの重力相互作用の修正などがある。これらのモデルが記述するダークエネルギーの宇宙論的効果はダークエネルギーの状態方程式で与えられ、理論ごとに異なる状態方程式に従う。ダークエネルギーの正体は宇宙論における最も困難な問題の一つである。
ダークエネルギーについての理解が進めば、宇宙の終焉がどうなるかという問題にも答が得られる可能性がある。宇宙の歴史において、ダークエネルギーによる現在の加速膨張は、超銀河団よりも大きな構造が作られることを妨げていると考えられる。この加速膨張が将来も続くかどうかは分かっていない。ダークエネルギーが時間的に増加して加速膨張の度合が大きくなればやがてビッグリップを迎えるかもしれないし、あるいは時間とともに減少すれば最終的に宇宙は収縮に転じるかもしれない。

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宇宙の年齢
宇宙の年齢とは、ビッグバンから今日までの時間を表す。最近の観測によると (137.98 ± 0.37) 億年であるとされる。この誤差はいくつかの研究プロジェクトの結果をすりあわせて得られたものである。観測装置と観測手法の発達は宇宙の年齢を極めて正確に測定するところまで来ている。この研究プロジェクトには、宇宙背景放射の観測と、宇宙膨張の測定が含まれる。背景放射の測定はビッグ・バン以来の宇宙の冷却時間を教え、宇宙膨張の測定は宇宙年齢を計算するための精密なデータを提供する。
・膨張
Λ-CDMモデルは、宇宙初期の一様で高温・高密度の状態から現在までの138億年にわたる進化を記述する。このモデルは理論的によく調べられており、最近のWMAPのような高精度の宇宙観測によって強く支持される。
Λ-CDMモデルに従う膨張の時間、すなわちビッグバン以来の時間よりも、宇宙の歴史は理論上は長い可能性があるが、宇宙理論家はこれを「宇宙の年齢」としている。
・天体の観測による下限
あらゆる天体は宇宙より若いはずであり、天体を観測し年齢を推定することで、宇宙の年齢の下限が導き出せる。
宇宙の年齢の観測については多くの観測方法があり、最も低温な白色矮星の温度と赤色矮星のターンオフポイントを含んでいる。これには観測限界があるがそれは多くが宇宙の年齢と同じか同程度だと考えられている。
宇宙は膨張するに従い徐々に冷えていくので電磁波の放射が弱くなることも観測方法のひとつとして数えられる。
年齢が測定されている中で最も古い天体は、てんびん座にあるHD 140283 (144.6 ± 8.0) 億年である。下限値に近い値ならば上記の宇宙の年齢とも矛盾しない。
・宇宙論
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・ハッブル時間
宇宙論の方面から宇宙の年齢を計算するなら、最も重要なのはハッブル定数である。
ハッブルの法則によれば、あらゆる銀河は距離に比例した速度で遠ざかっており、その比例定数がハッブル定数である。膨張速度が一定ならば、ハッブル定数の逆数で定義される時間だけ過去には、全ての銀河は一点に集まっていたことになる(図の)。この時間をハッブル時間と呼ぶ。
小松英一郎ら (2008) によると、2008年現在最も高精度なNASAWMAP(ウィルキンソン・マイクロ波異方性探査機)による観測に、他のいくつかの観測を加味した結果、ハッブル定数は (70.5±1.3) km/s/Mpc、ハッブル時間は(138.7 ± 2.6) 億年である。しかし、このハッブル時間をそのまま宇宙の年齢と考えていいかは議論の余地がある。宇宙膨張は加速や減速をするからである。
 
WMAPの観測
WMAP等による初期の観測では、宇宙の年齢は (137.2 ± 1.2) 億年とされている。観測誤差は12000万年である。しかしこの計算結果はプロジェクトの基本的な計算モデルが正しいという仮説に基づいており、宇宙の計算に関する他のメソッドは異なった年齢を算出するかもしれない。例えば、相対論的粒子の余分な宇宙背景放射を仮定するとWMAPの誤差範囲を1桁拡大出来る。その後、より精密な値として (137.72±0.59) 億年が与えられ、プランク (人工衛星)が別の値を求めるまで最も正確な値であった。
デカップリングの表面(再結合時点の宇宙の全体サイズ)のサイズを決定する宇宙マイクロ波背景放射のパワー・スペクトルにおける最初のスペクトルのピーク位置を使用することによって、この測定は行われる。この表面(使用される解析結果による)への軽い移動時間は宇宙の信頼できる年齢をもたらす。モデルの正当性はこの年齢に対しほぼ1パーセントの誤差をもたらしていたと仮定する。
 

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プランク定数
プランク定数(Planck's constantは、物理学における基礎定数である。量子力学の創始者の一人であるマックス・プランクにちなんで命名された。Hilfsgrößeの頭文字を取ってh と記される(Hilfs = auxiliary 補助、größe = quantity 大きさ、量)。単位は(Js)である。
・概要
光子の持つエネルギーエネルギー量子εは振動数ν(ニュー)に比例し、その比例定数hがプランク定数と定義される:
ε=hν
光のエネルギーEは光子の持つエネルギーの倍数の値のみを取り得る:
E=nhν
プランク定数2010CODATA推奨値は
h=6.626 069 57 (29) x 10^-34 Js
である。
また、プランク定数 h 円周率π 2 倍で割った値もよく使われるため、「エイチバー」と発音される専用の記号=h/2π Unicode U+210FJIS X 0213 1-3-61)が使われている。は「換算プランク定数」と呼ばれている。ただ単に「プランク定数」と呼ぶ場合もある。ときにディラック定数と呼ぶこともある。
2010CODATA推奨値は
=h/2π=1.054 571 726 (47) x 10^-34 Js
である。
・起源・歴史
-黒体放射
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3式の比較
レイリーとジーンズは黒体放射におけるエネルギー分布に関するレイリー・ジーンズの公式を提案した。この式は低振動数の領域で測定値によく合ったが、高振動数領域では発散し、大きく誤差が生じてしまった。一方、ヴィーンは1896年にヴィーンの公式を提案した。この式は高振動数領域で測定値によく合ったが、低振動数の領域では合わなかった。プランクは1900年に測定値によく一致するプランクの公式を提案した。この式は低振動数の場合と高振動数の場合にそれぞれレイリー・ジーンズの式とヴィーンの式に移行する内挿的な公式である。この公式を導出する過程で、光のエネルギーの受け渡しは大きさの単位のみで起こり得る、という仮定が必要となった。ここにhは普遍定数であり、後にプランク定数と呼ばれるようになった。
-光電効果
アインシュタインはプランクの理論の影響を受け、1905年、光が粒子のような性質を持つという光量子仮説を提唱し光電効果を説明した。アインシュタインの光電効果の考えは、1916年にミリカンによって行われた実験にて確かめられた。ミリカンがこの実験から求めた定数hの値は、プランクが黒体放射から得た値とよく一致した。
・理論
軌道角運動量やスピンは常に換算プランク定数の定数倍になっている。例えば、電子のスピンは±/2である。ただし、量子力学の分野ではプランク単位系や原子単位系を用いる場合が多く、その場合の電子のスピンは±1/2となる。
プランク定数は(位置)×(運動量)の次元を持ち、不確定性関係とも関係しているので、それゆえに位相空間での面積の最小単位であるとも考えられてきたが、最近では Zurek その他の研究で、量子カオス系においてはプランク定数以下のミクロ構造が現れる事がわかった。

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宇宙の年表 その1
 宇宙の年表は、宇宙で起きた出来事の年表であり、ビッグバン理論を中心に他の科学理論も交えてまとめたものである。
宇宙の歴史、宇宙の展開、宇宙の進化などとも表現されるものである。
観測によれば、宇宙はおよそ138億年前に誕生した。それ以来宇宙は3つの段階を経過してきている。未だに解明の進んでいない最初期宇宙は今日地上にある加速器で生じさせられるよりも高エネルギーの素粒子からなる高温の状態であり、またほんの一瞬であったとされている。そのためこの段階の基礎的特徴はインフレーション理論などにおいて分析されているが、大部分は推測からなりたっている。
次の段階は初期宇宙と呼ばれ、高エネルギー物理学により解明されてきている。これによれば、はじめに陽子、電子、中性子そして原子核、原子が生成された。中性水素の生成にともない、宇宙マイクロ波背景が放射された。
そのような段階を経て、最初の恒星とクエーサー、銀河、銀河団、超銀河団は形成された。
宇宙の終焉については、さまざまな理論がある。
・最初期宇宙
最初期の宇宙に関係する概念はいきおい推論がちになる。現在のところこの時代に新たなる知見をもたらすのに十分な規模の加速器による実験は行われていない。多くのシナリオ案は根本の部分に意見のあわない部分がある。例えば
ハートル=ホーキングの境界条件(Hartle-Hawking state)
弦風景(en:String theory landscape)
ブレーンインフレーション
弦ガス宇宙論(String gas cosmology)
エキピロティック宇宙論(Ekpyrotic)
など。補完し合う理論もあるがそうではない理論もある。
・プランク時代
宇宙誕生から10-43秒(プランク時間)後まで
超対称性が存在するなら、この時期に4つの基本相互作用電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用、重力相互作用は、分離しておらず統一の相互作用(統一場理論)である。この時代についてわかっていることは少ないが、シナリオによりいくつかの理論が提示されている。このような状況では量子効果のために一般相対性理論は破綻すると推測されている。超弦理論、ループ量子重力理論といった量子重力理論が確立すれば、この時代の理解が進むと期待する物理学者もいる。
・大統一時代
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スイス・ジュネーブ郊外にフランスとの国境をまたいで設置されている大型ハドロン衝突型加速器は、大統一理論についての知見をもたらす可能性が指摘されている
宇宙誕生から10^-43から10^-36秒後
プランク時代から宇宙の膨張と冷却がはじまり、重力相互作用とゲージ理論で示される基本相互作用は分離する。この時代の物理法則は大統一理論で記述される。大統一時代は電弱相互作用と強い相互作用に分離することにより終了する。この終了はインフレーションと同時期である。いくつかの理論は大統一時代に磁気単極子が生成されるとしている。
-インフレーション時代
宇宙誕生から10^-36から10^-32秒後
宇宙のインフレーションが生じた温度そして時間についてはよくわかっていない。インフレーションの間宇宙は閉じた宇宙であり、一様・等方に急速に拡大する段階に突入する。光子のエネルギーはクォークとハイペロンとなるが、それらの粒子はすぐに崩壊する。あるシナリオによれば、宇宙のインフレーションに先立ち宇宙は冷たく空虚となっていた。
-電弱時代
宇宙誕生から10^-36から10^-12秒後
この時代の宇宙の温度は1028ケルビンと冷たく、強い相互作用と電弱相互作用(ワインバーグ=サラム理論)は分離している。この電弱時代は、インフレーションにより粒子が引き離されたことも、関連していると考えられている。粒子の相互作用は活発であり、ウィークボソン(WホゾンとZボソン)、ヒッグス粒子といった大量のエキゾチック粒子が生成される。
-再加熱
再加熱時代ではインフレーションの間に生じていた指数関数的な膨張は止まり、インフラトン場の潜在エネルギーは熱く、相対的にクォークグルーオンプラズマな粒子に変換される。大統一理論が正しければ宇宙のインフレーションは大統一理論の破綻の最中あるいは後に生じるか、さもなければ磁気単極子が確認できるはずである。この時代では、宇宙はクォーク、電子、ニュートリノが支配し、放射優勢である。
-バリオン生成
この宇宙において、反物質よりバリオンの方が多い理由には不明な部分が多い。この理由を説明するには、インフレーションの後にサハロフ状況が満たされなければいけない。既知の物理学と研究中である大統一理論はヒントになるが、やはり多くは不明である。
 

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宇宙の年表 その2
-初期宇宙
宇宙のインフレーションの後、宇宙はクォークグルーオンプラズマで満たされる。この時点から後である初期宇宙の物理学は比較的よく理解されており、また推測も減ってくる。
-超対称性の破れ
超対称性があるとすれば電弱超対称性の基準である1TeV程度の低いエネルギーで超対称性は破れ、粒子と超対称性パートナーの質量は等しくなくなると考えられる。これにより、既知の粒子の超対称性パートナーはなぜ観察されないのかが説明される。
-クォーク時代
宇宙誕生から10-12から10-6秒後
電弱時代の終わりに電弱超対称性が破れると、ヒッグス粒子は真空期待値を獲得し、あらゆる粒子はヒッグス機構により質量を獲得すると考えられる。重力相互作用、電磁相互作用、弱い相互作用、強い相互作用からなる基本相互作用は、現在のように分離するものの、宇宙の温度は高いためクォークの結合によるハドロンの生成は生じない。
-ハドロン時代
宇宙誕生から10-6から1秒後
宇宙を構成するクォークグルーオンプラズマが冷えることにより、陽子、中性子といったバリオンからなるハドロンが形成される(クォーク・ハドロン相転移を参照してください)。宇宙誕生からおおよそ0.1秒後、ニュートリノは分離して時空を自由に移動するようになる。この宇宙ニュートリノ背景は、詳細は不明であるが後に放射される宇宙マイクロ波背景に似ている。
-レプトン時代
宇宙誕生から1秒から3分後
ハドロンと反ハドロンはハドロン時代の終わりに対消滅し、宇宙の質量はレプトンと反レプトンが占めるようになる。宇宙誕生からおおよそ3秒後宇宙の温度は、レプトンと反レプトンの新たなる対はもう作られず、レプトンと反レプトンのほとんどが対消滅し、レプトンがわずかに残る。
-光子時代
宇宙誕生から3分から38万年後
ほとんどのレプトンと反レプトンはレプトン時代の終わりに対消滅し、宇宙のエネルギーは光子に支配される。この光子は荷電した陽子、電子、原子核と干渉し、この状態は30万年続く。
-原子核合成
宇宙誕生から3分から20分後
光子時代、宇宙の温度は原子核が生成されるまでに低下する。(水素イオンである)陽子と中性子は核融合により結合し、原子核を生成する。核合成は、宇宙の温度と密度が核融合を継続できない程度まで下がるまでのおよそ17分で終わる。この時代、中性水素(1H)の全質量はヘリウム4(4He)の全質量3倍であり、その他の核種の量はわずかである。
-物質優勢
宇宙誕生から7万年後
この時代、非相対的物質(原子核)と相対的放射(光子)の密度は等しい。(重力と圧効果の競合から)生成可能な最小の構造を決定するジーンズ長(Jeans length)が小さくなりはじめ、それにより放射自由ストリーミングが一掃され、摂動の振幅が大きくなり始める。
-再結合
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WMAPのデータは宇宙マイクロ波背景放射にゆらぎがあることを示している。実際の揺らぎは図に示されているよりも階調性に富んでいる。
宇宙誕生から24万年から31万年後
水素とヘリウムの原子核が電子と結合して原子が形成され、また宇宙の密度は低下する。再結合には分離が生じ、光子は物質に干渉されることなく伝播できるようになる。これにより光子は宇宙マイクロ波背景を形成し、光子時代の宇宙が現代でも観測できる。
-暗黒時代
分離が生じるまで、宇宙の光子のほとんどは光子バリオン流動体の電子や陽子と相互作用している。宇宙は不透明で「霧がかって」いる。光といっても私たちが望遠鏡でのぞいて観測できるような光でない。宇宙におけるバリオン様の物質はイオン化プラズマから構成されていたが、再結合期に自由電子を獲得すると電気的に中性となった。それにより光子は束縛を解かれ、宇宙マイクロ波背景を形成した。光子が(分離され)自由になると、宇宙は透明になった。
この時代の放射線は中性水素(1H)の放射する21cm線のみである。現在、このかすかな放射を検出する研究が行われているが、これは、初期宇宙の解明において宇宙マイクロ波背景放射よりも多くの情報を含んでいると考えられている。
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