出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
宇宙論 その5 (2/4)
他の宗教での類似の概念
インド発祥の宗教
ヒンドゥー教
ヒンドゥー教ではデーヴァローカが天国に類似する。
仏教
仏教の世界観はヒンドゥー教と起源を同じくしており、デーヴァローカに対応するのは天部(神々)や天人が住む天(天道・天界)である。これは六道最上位、つまり人の住む第2位の人道の1つ上に位置する。しかし仏教では、神々すら輪廻転生に囚われた衆生の一部にすぎない。
それら全体に対し、輪廻転生を超越した高位の存在として仏陀が、仏陀の世界として浄土が存在する。この対立構造においては、天国に相当するのは浄土(浄土宗では阿弥陀仏の浄土である極楽)である。
-エデンの園
エデンの園(エデンのその、ヘブライ語: גן עדן, ラテン文字転写: Gan Eden)は、旧約聖書の『創世記』(2:8-3:24)に登場する理想郷の名。楽園の代名詞になっている。パラダイスとも言う(ラテン語: paradisus、古典ギリシャ語: παράδεισος)。地上の楽園とも言う。
創世記の記述
『創世記』の記述によればエデンの園は「東の方」 (2:8) にあり、アダムとイヴはそれを管理するためにそこにおかれ、そして、食用果実の木が、園の中央には生命の樹と知恵の樹が植えられた。
また、エデンから流れ出た1つの川は、4つの川(良質の金とブドラフと縞メノウがあったハビラ全土を流れるピション川、クシュの全土を流れるギホン川、アシュルの東を流れるヒデケル川、ユーフラテス川)に分かれていた。
ヤハウェ・エロヒム(エールの複数形、主なる神と訳される)はアダムとイヴが禁じられていた知恵の木の実(禁断の果実)を食べたことから「人はわれわれのひとりのようになり」、その後、生命の樹の実をも食べ永遠に生きることをおそれ、エデンの園を追放する(失楽園)。生命の樹を守るため、ヤハウェ・エロヒムはエデンの東にケルビムときらめいて回転する炎の剣をおいた。
文学と伝承
ダンテ・アリギエーリの叙事詩『神曲』では、煉獄山の山頂にエデンの楽園があり、天国に最も近い場所となっている。
なお、エデンとはヘブライ語で快楽、アッカド語で園という意味である。この過程でキリスト教徒たちはエデンの園を、パラダイス、神が存在する地上の楽園と考えたのである。しかし同じ系統であるユダヤ教徒やムスリムにはその様な概念はない。
中世のキリスト教伝承では、アダムの三男セツがエデンの園に渡ったと言う伝説が生まれた。
エデンの場所
エデンがどこであったのかについては、古来、様々な場所が主張され、議論されてきた。その中には、創世記に典拠がみとめられないものも少なからずある。
なお、多くの説では、エデンがアルメニアの近くにあったと主張している。またユダヤ教の伝承によれば、エデンはアルメニアの現在の首都エレバンにあったという。エレバンの近くにはノアの箱舟が流れ着いた場所との説があるアララト山がある。
他に、紀元前6000年頃は海面はもっと低かったため、現在は海となっているペルシャ湾やメソポタミア南部に比定する説も有る。
紀元前2600年 - 前2500年頃、メソポタミアにおいてラガシュとウンマという二つの都市国家が「グ・エディン」(平野の首)という肥沃な土地をめぐって戦争を繰り返しているが、このグ・エディンがエデンの園のモデルであるとする説がある。