出典:フリー百科事典「ウィキペディア」より引用
宇宙論 その5 (3/4)
-地獄
旧約聖書や新約聖書まで、地獄に関する内容が数十箇所に現れる。ギリシャ語聖書の記事中に、地獄と訳される事がある語彙は、ゲヘンナ(γεεννα、現代ギリシャ語ではゲエンナ)とハデース(ᾍδης、現代ギリシャ語ではアディス)の2種類がある。欽定訳聖書(英語)においては"hell"がいずれに対しても訳語として用いられていて訳し分けられていない。日本語訳聖書においてはこの2種類はギリシャ語原文に従って訳し分けられる傾向がある。
この2種類の語彙・概念をどの程度違うものとして捉えるかは、教派・考え方によって異なっている。本記事ではこの2種類の語彙いずれも扱う。なお教派ごとに地獄についての理解が異なるため、概念概要と語義について詳述したのち、教派ごとの理解に移る。
概念
キリスト教での地獄は一般的に、死後の刑罰の場所または状態、霊魂が神の怒りに服する場所とされる。苦しみの現実性については、神が見えないことによる渇望的な苦しみと、神の怒りや自分の良心の究明などが炎と化して霊魂や復活した体を苛むとする、神の不在と聖書の火と両方を苦しみの主体と捉える教派もあれば、単に前者のみと考える人達もあり、見解は分かれる。
他方、地獄を霊魂の死後の状態に限定せず、愛する事が出来ない苦悩・神の光に浴する事が出来ない苦悩という霊魂の状態を指すとし、この世においても適用出来る概念として地獄を理解する見解が正教会にある。この見解はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』に登場するゾシマ長老の台詞にもみえる。地獄を死後の場所に限定せず、霊魂の状態として捉える理解は、楽園が霊魂の福楽であると捉える理解と対になっている。
語義・訳語
ギリシャ語における二つの語彙の概念差
ギリシャ語においては、英語で"hell"と訳される語彙として、γέεννα(古典ギリシャ語再建音:ゲヘンナ、現代ギリシャ語転写:ゲエンナ)と、ᾍδης(古典ギリシャ語再建音:ハデース、現代ギリシャ語転写:アディス)の2つの語彙があり、両語彙とも旧約聖書・新約聖書に使われている。
ゲヘンナは原語では「ヒンノムの谷」の意である。この谷ではアハズ王の時代にモロク神に捧げる火祭に際して幼児犠牲が行われたこと、ヨシヤ王の改革で谷が汚されたことがあり、町の汚物の捨て場とされた。このような経緯から、新約聖書ではゲヘンナは来世の刑罰の場所として考えられるようになった。一方、ハデースはギリシャ語の「姿なく、おそろしい」の意から派生したもので、ヘブライ語のシェオルに当たる。古代の神話では死者の影が住む地下の王国とされた。
以下に二つの語彙の概念差についての概要を述べるが、キリスト教内でも地獄に対する捉え方が教派・神学傾向などによって異なる。教派ごとの捉え方の詳細については後述する。
ゲヘンナとハデースの間には厳然とした区別があるとする見解と、区別は見出すもののそれほど大きな違いとは捉えない見解など、両概念について様々な捉え方がある。
厳然とした区別があるとする見解の一例に拠れば、ゲヘンナは最後の審判の後に神を信じない者が罰せられる場所であるとされる。一方、ハデースは死から最後の審判、復活までの期間だけ死者を受け入れる中立的な場所であるとする。この見解によれば、ハデースは時間的に限定されたものであり、この世の終わりにおける人々の復活の際にはハデースは終焉する。他方、別の捉え方もあり、ハデースは不信仰な者の魂だけが行く場所であり、正しい者の魂は「永遠の住まい」にあってキリストと1つにされるとする。
上述した見解例ほどには大きな違いを見出さない見解からは、ゲエンナ(ゲヘンナ)、アド(ハデース)のいずれも、聖書中にある「外の幽暗」(マタイ22:13)、「火の炉」(マタイ13:50)といった名称の数々と同様に、罪から抜け出さずにこの世を去った霊魂にとって、罪に定められ神の怒りに服する場所である事を表示するものであるとされる。
各言語における訳し分け
ギリシャ語から他言語に翻訳するにあたりこの2つの語彙をどのように処理するかについて、2つの語彙を当てて訳し分けるか、それとも同じ語彙を当てるか、いずれかの方策が各種各言語翻訳によって採られる事となっている。
カトリック教会で広く使われたヴルガータ版ラテン語聖書では、Γέενναにgĕhennaを、ᾍδηςにInfernumを当てている。スラヴ系の正教会で広く使われる教会スラヴ語訳聖書では、ΓέενναにГееннаを、ᾍδηςにАдъを当てている。
しかしながら英語訳である欽定訳聖書ではこのような訳し分けがなされず、いずれも"hell"と訳されている。英語のhellの語はかつてギリシャ語のハデス、ヘブライ語のシェオルに対応していたが、17世紀以降にゲヘナをあらわす意味に変化した。